「Google八分」学の教授

gachapinfanのスクラップブック経由で、小林恭子の英国メディア・ウオッチ : ネットの規制あれこれーグーグルというエントリー見ました。


ジョナサン・ジットレイン(Jonathan Zittrain)教授(35歳)は、以前はハーバード大学で教えており、米国のIT業界では有名な人のようだ。政府、ロビー団体、企業が、検索エンジンを 「検閲」しようとしていることを、指摘してきたからだ、という。例えば、「グーグルの死刑」とでも呼ばれる現象は、自分が知らない間に、検索エンジンのリスティング、インデックスから消されている状態を指す。

こういう切り口で、オックスフォード大学で「インターネット・ガバナンス」を教えられているそうで、まさに「Google八分」学の教授です。

関連: 圏外からのひとこと別館 - Google八分のサイトからGoogleについて語る

もうひとつ関連して、Inertial Inertia -慣性という名の惰性- - CODE読み返して思ったことに、レッシグの「Code」のわかりやすい要約がありました。


規制には「法」「市場」「規範」「アーキテクチャ」四つのモジュールがあり、それぞれのバランスによって規制は実行されている。リアルワールドは物理的な制約などで、この四つがバランスを保ちつつ規制を行っている。


しかし、ネットの「アーキテクチャ」はそもそもが人工的なものであり、物理的な制約を受けずに完全なコントロールを許してしまう。完全なコントロールは、それまでの「物理的制約が当然あると想定されていた時期に制定された」憲法が想定していた自由を脅かしかねない。


そして、この「アーキテクチャ」による完全なコントロールが短期的な商業的価値と結びついてしまうと、本来の市場の成長に必要だった創造性を阻害しかねない(この市場の成長を引き起こす創造性を保護することも一つの憲法的価値だという点に注意)。


このような「アーキテクチャ」を、憲法がそもそも想定していた自由を保障するように作り変えなければいけない。そしてその際に、「法」は他の三つのモジュールに直接的・間接的な影響を与えうるので、「法」による「アーキテクチャ」への働きかけが重要だ。


アーキテクチャ」とは言い換えればコードであり、コードの透明性を担保する方向に「法」は積極的に介入を行っていくべきだ。

(ちょっと妄想的追記)

Googleはいずれ、こういう先生方の中で一番brilliantな人を、文系フェローとして雇うことになると思います。

そうすると、「Google八分」学的に言って、「Googleは正しい」とその先生が言ってくれます。その先生が「Google八分」学の権威であれば、誰もその先生には逆らえない。もちろん同時に、その先生が「適切な規制」と考える規範に、Googleは従うんですが、それでいいのかあ?