新作振袖予約会のDMを見てあれこれ考えた

うちに、成人式向けの「新作振袖予約会」のDMが来た。A3サイズでカラー写真がたくさんあって、今風の振袖がいっぱい出ている。でもそんなもの送ってきたって無駄。徹底的に無駄。

だって、うちにはそんな金ないし、だいいち、子供だってそんなもの着る気はないし、なにより、うちの子の成人式来年だし、そもそも、宛名に書いてあるその人物は男なんですが?

「アホか」と思うけど、まあ、確かにうちの子の名前を見たら一瞬は男か女か迷うかもしれない。それでもよく考えれば普通わかると思うのだが、よく考えるより、ちょっとでも可能性があったらとりあえず送ってしまった方がいいんでしょうね。振袖着たがる男の子だっているかもしれないし。一年早いのは、完全に計算づくで、来年の成人式に備えて予約だけでもさせてしまおうという魂胆だろう。

しかし、ここまで笑わしてもらったのは初めてだけど、アホなDMは、これに限らずたくさん来る。こんだけデタラメな送り方してたら成約率は相当低いと思うのだが、郵政省メール代払っても、全体ではこれが儲けになるのだろう。ということは、日本全体、世界全体でどれだけ無駄なDMが送られているか。

DM見るたびに「こんなものどこの馬鹿が買うのか?」と思うが、そういう馬鹿な金払う馬鹿な消費者が一定の割合で実在してるからこそ、馬鹿なDMが無くならないわけで、そう考えると、企業が広告にかける金額は膨大なものなんだなあと改めて実感する。そして、この無駄なDM代のうち何割かは、これから確実にネットに流入して来るわけで、それなら、広告モデルのネットビジネスは、まだまだ発展する余地はあるだろう。そのうちいくらかは、巡り巡って自分の所にも回ってくるかも、なんて計算をしてみたりする。

一方、スパマーが馬鹿スパムにかけるコストも、それに比例して増大していくわけで、コストをかければ技術も上がり工夫もされて、ベイジアンフィルター抜けの技術も高度化するだろうしで、頭が痛いことですなあ。

また、見方を変えれば、そういう馬鹿な消費者にとっては、GoogleだのYahooだのなんて難し過ぎて存在しても意味がないわけで、そういうおバカなDMのようにユーザーフレンドリーな技術が必要とされているのかもしれない。何かを買う時、誰もがとりあえずググる習慣をつけたら、そして、各家庭に最低一人はそういう人間を配置できたら、大半のDMは不要というか無効になるのだろうが、おそらくそうはならない。「ググる」という行為に手が届く人間は、消費者全体の中では少数なのだろう。

要するに、全人類に漏れなく必要な情報を届ける技術には、商品やサービスに限ったとしても、発展の余地がまだまだたくさんあるのである。