「世界の豊かさ」で盗用問題を斬る!

マンガの構図盗用問題については、「ふーん」という感想しかないんだけど、L'eclat des joursを見て、確かに「他人事じゃないかも」とちょっと気になってきた。そして、活字うろうろにトリック盗用が盗用元の作品世界(との出会い体験)を台無しにすることの悲しさみたいなものについて書いてあって、それを読んでいるうちに、ひらめいた。

「盗用」であれ「共用」であれ、その行為によって世界全体がどれだけ豊かになるかが問題だと思う。

プログラミングパターンやフレームワークは、それを公開することによって、新しいプログラムがずっと楽に開発される。その過程でパターンやフレームワークについて新しい知見が得られて、その結果、盗用(ではないけど)元も得をする。盗用先も盗用元も得をして、世界が豊かになるからこれはいいことだ。

トリック盗用の場合は、それによって盗用先が得したのは、「金田一少年の事件簿」の単なる普通の一エピソード。盗用元がネタバレによって失うものは、私はどちらも読んでないから想像なのだが、活字うろうろさんによれば、これが相当綿密に構成された作品世界との出会いにおける「驚き」である。それは小説を読むことの楽しみにおいて、稀にしかない非常に貴重な経験だと思う。単なる一作品の問題でなく、シリーズ全体に対する印象が不当に矮小化されてしまう。盗用元の損失と比較して、盗用先が得たものは少ない。合計して世界は貧しくなっている。

漫画の構図トレースにおいては、盗用元が失うものはあまりない。盗用先で得るものは、盗んだ作家のセンス次第で、駄目な人なら単にひとつのコマを書く時間がちょっと短縮されただけだが、その人に才能と盗用元に対するリスペクトがあれば、言語化できない部分で大きなものを得るかもしれない。だから、世界は宝くじを買ったようなもので、おそらく100円か200円くらい損をするけど、稀に大当りが出る。大当りが出た時には、世界は全体として豊かになるから、他に特に大きな問題がなければ黙認くらいがちょうどいいのではないかと思う。

「世界の豊かさ」は定量的な概念ではないけど、「それで世界は豊かになるのか貧しくなるのか?」という問いに対して、多くの場合、その答えを多くの人が共有することは可能だろう。

ちょっと派生すれば、このエントリー自体が、ブロゴスフィアの中で話題を受け渡しているうちに出てきたもので、最初のニュース単独で見た時に、私は「ふーん」以上の感想を持てなかった。ブロゴスフィアの中の言及のバトンは、世界を豊かにしていると思う。

盗用と共有と言及を「世界の豊かさ」で一般化して新しいルールを決めていくのが一番いいと私は考える。