人権委員会の勧告に司法が介入できるのはよくない?

2ちゃんねる法学板で、面白いレスを見つけました。非常に専門的な議論なので、とても完全には理解できませんが、確実に理解できたのは、「前人権擁護推進審議会会長で行政法学の最高権威、塩野宏」という方が、ご自身の専門分野の著作で、結論が正反対となる書き換えをしているということです。

行政法 (2)という本の第二版にあった


勧告、公表制度の場合にも、(中略)勧告自体の取消訴訟が認められてしかるべきであろう

という文が、第三版では


勧告、公表制度の場合も、(中略)取消訴訟を利用することはできない。

に変更されていて、意味が正反対になっているそうです。

勧告とは人権擁護推進審議会の委員の皆様への公開質問状にある


この規定により、人権機構は、出版、報道の事前差し止め(42条1項4号イ・ロに列記される理由での取材活動の停止勧告)を行うことができます。

といったものだと思いますが、これに対して「取消訴訟」が認められるか認められないか、その結論が180度逆になっています。

94年3月の第二版では、人権擁護委員会等の行政の判断に対して司法の場で検証を求めることができると書かれていたのが、04年3月の第三版では、それはできないとい記述に書き換えられているとのことです。

上記引用によると、その理由としては、「勧告」は「法効果を有しないし、事実上の強制力もない」からということですが、前の版には「公表を間接強制上の制度としてとらえれば」という記述があることから推測すると、「勧告」というものの強制力の有無に関して、見解を変えられたようです。

もちろん私にはこれが学問上の問題なのか、そうでないのかは判断つきませんが、このレスを書いた方は、人権擁護法案が先にあって、それに合わせて著作の記述を変更されたと判断されているようです。もしそうであるとしたら、「勧告」の強制力を低く見ることと司法の介入を「できない」とすることには重大な意味があるのでしょう。

非常に興味深い指摘であると思うので、保存しておきます。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1121579897/867-868n


前人権擁護推進審議会会長で行政法学の最高権威、塩野宏の言説を追ってみた。


行政法Ⅱ(第二版)』87頁1994年3月「勧告、公表制度の場合にも、公表を間接強制上の制度としてとらえれば(本書Ⅰ200頁)、その取消しを認めることができると解される。なお、公表の性格上、取消しの効果はあまり期待できないところから、勧告自体の取消訴訟が認められてしかるべきであろう。」


ペンクラブからの公開質問状に対する回答 2002年4月 http://www.japanpen.or.jp/committee/genron/020417.html 質問4 事前規制、検閲のおそれについて/(1)人権機構は、特別人権侵害(メディアによる人権侵害を含む)による被害、救済、人権侵害の予防を図るため、当該行為の停止、くりかえしの禁止を勧告することができる(60条)とされています。この規定により、人権機構は、出版、報道の事前差し止め(42条1項4号イ・ロに列記される理由での取材活動の停止勧告)を行うことができます。これについては、どうお考えでしょうか?


質問4/(1)について/[答え] 勧告は、法的意味の差止め機能をもつ法行為ではありませんので、法効果をもつことを前提としているご質問には答えられません。


行政法Ⅱ(第三版)』94頁2004年3月「勧告、公表制度の場合も、それ自体としては法効果を有しないし、事実上の強制力もないことから、取消訴訟を利用することはできない。」


このことから私は↓の結論に到った(藁。


「塩野センセイは この法案のために 自らの教科書を書き換えたんだよ!!」

なお、以前にこちらでも触れていますが、このような紛争解決における、司法と行政の役割分担については議論が多く、ADR(Alternate Dispute Resolution, 訴訟外紛争解決(手段))を活用しようというコンセンサスもあるようです。そのような流れに関連することなのかもしれませんが、「速い安い恐い」にならない為には、機動的な運用と正当性を担保する為の外部からの監査が対になることは、むしろ必須のことではないかと思います。