RSAが存在しなかった2005年

私は技術者が社会や政治や思想の議論にもっと参加すべきだと思っていて、その為に捨て石になってるつもりは少しある。

というのは、技術を理解していることで、違う社会のあり方をそうでない人より正確に想像することができるからだ。例えば、公開鍵暗号という技術が存在しないままネットが発達して、その他のことが全てこの世界と同様に実現された2005年はどんなものになるか?

もちろん、ハードとソフト、基礎技術と応用技術は、それぞれ互いに影響しあって進歩するから、そんなことは起こり得ないけど、今の世の中から乱暴にRSAを引き算してしまうことはできる。

RSAがなかったら、全ての暗号化通信は、パスワードが必須になる。そして、そのパスワードはネットの外を通して個別に与えられなくてはならない。だから、アマゾンでCDを買おうとしたら、アマゾンに手紙を出して会員登録してパスワードを送ってもらわないといけない。そんなことは面倒だから、ネットで買い物をする人はごく少数になる。無理して、今と同等のお金がネットで動くとしたら、その市場はごく少数の企業が支配していて、それはネット以前から有名だった企業だ。個人と企業のパワーバランスは圧倒的に大企業に傾き、みんなもっと会社に縛られて、集団知の前提となる巨大な混沌は発生しなかっただろう。

ストーリーは他にもいろいろあると思うけど、基本的には同じことだ。今の世の中からRSAを引いたら、RSAはいろんなものをゴッソリ引き抜いて持っていってしまい、面白いものは何も残らないだろう。

しかし、RSAというのは、そんなにたくさんのおみやげを持っていけるほど凄い技術なのか?そんなことはない。巨大整数のライブラリがあればJavaScriptで実装できちゃうくらいだ。その「たいしたこと無さ」は、計算式が分からないと実感できないのではないか。

そして次に、「この世からRSAを引く」という演算の逆演算を想像する。

つまりこの世にXを足すと、Xはとてもたくさんのおみやげを持ってやってくる。でも、XはやっぱりJavaScriptで実装できてしまうくらいの計算だ。そういうXを想像するには、RSAがわかっていた方がいいと思う。

Xはまだ誰も発見してなくて、最初に聞いた時は「なんじゃこりゃ」と言って、世界で数人の数学者しか理解しないかもしれない。RSAだってそうだった。俺なんか2年くらい前まで「なんじゃこりゃ」と言っていた。しかし多少わかった気になると、「なんだそれだけのことか」と言う。Xだって、発見されてから数年したら、たくさんのプログラマが「なんだそれだけのことか」と言うだろう。

私は、技術的なバックボーンを持って、RSAの無い2005年とXの有る2005年をかなりクリアに想像する。そうすると見えてきたことがある。

RSAの存在しないパラレールワールドには、rir7という人がいて「はっきりいいます」からはじまる挑発的で謎めいた議論をふっかけている。そして、essassaという人が彼の主張を読んで、「彼の言うことを要求仕様として読みとれば、それはパスワードのいらない暗号通信ということではないか」と言っている。「パスワードのいらない暗号通信」というその要求仕様の無茶さ加減は、なかなか理解されないのだが、理解したらRSAのない世界では誰もがそれは原理的に不可能だと思う。実は、essassaも不可能だと思っている。

こういうふうに書いていて、RSAを知っているこの私はessassaのことを馬鹿だと思うのだけど、それと同じように、Xの存在する2005年にいる私は、この私のことを馬鹿だと思っているだろう。

私は、rir6システムの仕様のひとつの近似解、あるいはキーとなる技術として「揮発性のある情報」という要素があると思う。つまり、微妙な条件でのアクセス制限が可能だとしても、現在のデジタルデータでは、転載を防ぐことができない。何か巧妙な仕組みで「悪意のある視線」をシャットアウトしたとしても、ひとりでも書き込みを全部保存しているスパイがいて、それが2CHに転載されてしまえば終わりだ。

管理者がスイッチを押したら情報が蒸発してしまうような仕組みがあったら、そういう万が一の事態に対する安全弁になる。アクセス制限はそこそこに動けばよくなるので、「開かれたそこそこ安全な場」を作る方法は、いろいろな可能性が生まれてくる。むしろ、面倒くさいアクセス制限はいらないかもしれない。普通のブログでひっそりとやっていて、晒しあげされたらスイッチを押して消してしまえばいいのだ。

転載分も一緒に消滅する「揮発性のある情報」は、私には原理的に不可能に思える。でも、パラレルワールドにいるessassaは、RSAのことをそう見るだろう。

実は「パスワード無しの暗号通信」は原理的に不可能だ。事前にオフラインで情報をやりとりすること無しで、暗号通信を行なうことは原理的に不可能だ。暗号通信は正しい相手とやらないと無意味で、だから正しい相手を認証することが必須なのだが、その為の情報は、オフラインでやりとりされている。ルート証明書というものがブラウザにあらかじめ仕込まれている。

正確に言えば、RSAは「リーゾナブルな運用負荷で『パスワード無しの暗号通信』のように見えること」を行なう技術である。「開かれた安全な場」を作る技術も、「リーゾナブルな運用負荷で『転載分も一緒に消滅する揮発性のある情報』のように見えること」を行なう技術だ。

それは、難易度はRSAと同じくらいだが、不可能なことではないと私は思う。

もちろん、Xは他のことかもしれない。ただ、ネットに依存する世界は、こういう技術(天才の思い付き)の不確定性に大きく左右されるのだ。そのことをわかっていれば、常に原理的根本的に考えることの大切さもわかると思う。文系的な領域での議論、意見集約というのは時間がかかるから、10年後にも通じる議論をしないと意味がない。