「お互いにメタに語る」


医師やカウンセラーが、「治療する」という役割に自己を固定してしまえば、相談に訪れた側は「患者」という立場に自分の役割を固定せざるを得なくなり、この固定構造自体がきわめてストレスフルになる。治す側が自分のポジションをメタに語り、患者側も自分の状況をメタに語ることで、「治す」という治療関係そのものが共同的な考察の対象になる。


支援関係者のある方から伺ったのだが、「傷つかない支援者からは、相談者は離れてゆく」。固定的で硬直した役割意識に自分を埋没させることのできる支援者は傷つかないが、支援関係そのものが無内容になる。自分を開いた試行錯誤を試みる支援者は、柔軟な関係性を目指すことができるが、支援者自身がズタズタに傷つき、長期継続的な支援ができない。お互いにベタに語っているだけでは、このジレンマから絶対に抜けられない。ここにおいても、「メタに語る」必要性があるのではないか。

距離のある二者が出会う時、乗りこえるべきその「距離」をその二人は共有している。だから、共有しているその「距離」こそが対話の鍵になるという話。また、片方が「距離」に鈍感であると、その「距離」の重みは一方的に弱者にかかってくるという話。