実情と本心

我々がライブドアのニュースを最初に見た時に知りたいと思ったことは、「実情と本心」という二つの言葉に集約されると思う。

ホリエモンの本心はどこにあるのか?」「ライブドアの実情はどうなんだ?」ということだ。

マスコミはそこに切り込もうと苦心したが、結局、何も出て来なかったようだ。堀江さんとライブドアに関するいくつかの「事実」は見えてきたけど、「本心」も「実情」も出て来なかった。

「本心」が無い所が堀江さんの強みであり、「実情」がない所がライブドアの強みなんだろう。

それで納得できるかというとそうではなく、「ついに判明!ホリエモンの本心とライブドアの実情」なんて記事が中吊り広告に出てたら、おそらく、降りた駅でいちもくさんにその週刊誌を買ってしまうだろう。

そのことが、いかに、我々の精神が二層構造になっているかということを示している。常に、我々は、「事実」のレイヤーと「本心と実情」のレイヤーの二層で、物事を把握しようとする。

それは、社会の成り立ちの話でもあるが、我々自身の心が「事実」と「本心と実情」の両方を求めているということでもある。