「焼け太り系」の匂い

ミーガン法が気になるのは、そこに「焼け太り系」の匂いがするからだ。

焼け太り系」とは、このエントリの為に俺が作った造語であって、失敗すればするほど儲かる仕組みのビジネスである。どういうものかは、俺自身にもよくわかってない。ただ、不安を利用することがポイントになるだろう。

大半の政策には「納入業者」というものが存在して、そこには利権がつきまとう。例えば政策を推進する為の情報システムをどこかの業者が納入する。税金を使うのだから、コストと効果を査定される。その査定は民間より甘いものになって、おいしい仕事が多くなりがちだが、スキマ産業的に儲けるならともかく、あまり派手にやると、野党やマスコミやブロガに目をつけられる。たくさん儲けようとするほど、目を引くのでほどほどの所にしておこうということになる。

程度問題ではあるが、これは人間の性というもので撲滅できるものではない。完璧なシステムはないのだから、金額の大きさに見あったアカウンタビリティがあればよい。平均値は国によって違うが、大半の国では、金額の大きさに比例するアカウンタビリティは確保されている。どこの国でも「納入業者」とそれにたかる官僚は、金額の大きさとアカウンタビリティの二律背反に常に悩まされている。だから、そこを回避できる仕組みを常に探している。

そういう鉱脈がミーガン法の周辺には生まれそうな気がするのだ。

ミーガン法を導入して、なおも犯罪が続いたらどうなるか?おそらく「もっと細かく監視しろ」「微罪から監視しろ」「犯罪者予備軍を監視しろ」「RFIDタグを埋め込め」「あそこに告知しろ」「俺にも告知しろ」等とどんどん要求がエスカレートする。犯罪抑制に失敗すればするほど、やることが増えて行く。

当然、予算が増えればアカウンタビリティも求められるのだが、そこにはデータがたくさんあるのだから、「こういう奴をこういう風に監視しましたが、こういうパターンが把握できなくてチェックできませんでした。すみません。今度はこのレベルまで監視します」等といくらでも言い訳ができそうだ。叱られて反省すればするほど儲かる仕組みになっている。

こういうものに真のアカウンタビリティを求めるならば、つまり問題を正確に分析しようとするならば、我々の心の中にある「不安とは何か」という問題が必然的に立ち現れてくる。我々の心はそれをすごく気持悪いことに感じる。何とか回避しようとする。

だから、官僚や警察の提示する嘘の説明に飛びつくだろう。おそらくそこにはたくさんのデータがある。たくさんの数字が「悪い奴はこいつだ」と言ってくれると、我々は「そうだそうだ、悪いのはあいつだ。あいつを監視しろ」と安心して自分をごまかすことができる。自分の心の中にある不安は見なくてすむからだ。

官僚や政治家はこういう「焼け太り系」の匂いに敏感だ。今動いているのは、そういう連中だと思う。よおく、そういう連中の言葉に耳を傾ければ、「不安」によってアカウンタビリティを巧妙に回避するロジックが見えてくるはずだ。