R30::マーケティング社会時評: 人の死を直視するということについて

こういう文章に不意打ちで出会えるからネットはやめられない!


けれど「死を直視する」という言葉の深い意味を、いい年した大人がきちんと自分の言葉で説明できなくなっている日本って、本当に寒い国だと思う。

全くそのとおりだと思うけど、自分ももはや「いい年した大人」なんで、これは耳が痛いなあ。

浮世の義理でずいぶん葬式に出たけど、いつも「ここは死を直視する場ではない」ということを感じて帰って来るだけなんで、とても自分の言葉では説明できない。

自分が一番、「死を直視する」経験をしたのは、子供との会話ですね。子供は小学生くらいで、なんのきっかけも理由もなく突発的に「死」について真剣に考えていることがある。まさにそういう時間に「自分は死ぬとどうなるのか」みたいなことを聞かれた私はラッキーだったと思うが、その時に、子供はゴマカシの無いナマの死に直面していたような気がする。もちろん、それはほんの瞬間的なもので、何かのアニメでも始まればすぐに通りさって本人は忘れてしまうのだけど。

子供が実感している「死」というものをすごく身近に感じつつ、何かいいかげんな説明をしたことがある。二人の子供とそれぞれ一回づつ似たようなそういうことを経験していて、それが、一番まともに「死」に近づいた経験かなあ。