トリッチ・トラッチ: 不幸な人を作り出す人
この意見に全面的に賛成です。
親の無い子には親の居る物語は読まないで、片足の無い子には両足揃っている子の物語は読まないで、貧乏な子どもにはお金持ちの王様の話は読まないで、こんな具合に特別扱いをしていくことが、良い結果をもたらすとはとても思えないのだ。
そういう特別扱いは、不幸を拒絶しているだけであって、不幸を拒絶しているということは、その「不幸な人」を拒絶していることに等しいと思う。手を怪我した人に「手を切り落とせば問題は解決する」と言っているようなもんじゃないだろうか。
もちろん、誰かの不幸に直面するのは辛いことだから、時には逃げたっていいと思うけど、それが、その人の不幸を癒して取り除いてやることにはつながらないことは自覚しておくべきだろう。
生きようとすること、これが全ての人に平等に与えられた幸せじゃないかと考えている。/それ以外はオプションてことで(笑)
ここもいいなあ。
癒しは受容から始まる。人生や存在を切りきざんで、その一部だけを受けいれるのは受容ではない。受容は常にトータルなもので、自分の中にある「全ての人に平等に与えられた幸せ」を受容できている人だけが誰かのつらさや悲しみを受容できるのだと思う。