現代の預言者 小室直樹の学問と思想

小室直樹の一番弟子である橋爪大三郎氏が、「小室学」を解説するという本である。

どちらも少しは読んだことあったのだが、この二人が師弟関係にあることを初めて知って驚いた。小室直樹は、自分の中では又吉イエス的なキャラで、本はわかりやすくて読みやすくて面白いんだけど、ちょと逝っちゃってるアブナイ警世家という印象がぬぐえない。近所に引越してきたら通報したくなるような人だ。

しかし、橋爪氏は師の学問の方法が「きわめて正統的」であることを強調する。だから、80年頃にソ連の崩壊を予言したことを、それだけで評価してはいけないと言い、それが学問的に正統な方法論で厳密な考証の中から出てきたことを重視する。その理論や方法論には学ぶべき点がたくさんあると。

橋爪大三郎という人は、逆に真面目すぎて面白味の無い人という印象があったので、その人がこういうふうに言うのだから、確かにそうなんだろうと私は思った。

それで、小室氏は田中角栄逮捕を批判したそうで、そのロジックに私は非常に興味を持った。法の手続き的側面と政治的側面という話だ。

内容執行者正否の判断
手続き的側面専門知識を使っての実務行政官裁判所
政治的側面一国の政治に関わる重大決定政治家(議会)国民(選挙)

もしこの二つをごっちゃにするとどうなるか。そうすると、刑事上有罪である政治家の責任は追及してよろしい。刑事上有罪でない政治家の責任は追及できない、ということになる。しかし、国民が政治家を追及するのは、検察当局が容疑者を追及する論理とは自から異なるわけで、この二つはまったく別な次元にある。(P168)

つまり、本来、政治家は法律の枠内で対応できなくて国益に重大な影響を及ぼす問題について、自己の政治責任をかけて法律を超えた判断をするものであって、現行の法律に縛られるものではないということだ。それの制度的な現れとして、国会議員の不逮捕特権等がある。

それで、 グアンタナモ収容所の謎も半分とけたのだが、もともと西洋の政治的な常識として、行政レベルと政治レベルを分けるという考え方が濃厚にあって、政治レベルのマターとしては何でもありなのである。ブッシュは、法律的な責任を負うのでなく、アメリカ国民に対して政治責任のみを負うのである。何事も裁判ですませる国の大統領が平気で(何の言いわけもなく)超法規的な措置をやるのがどうにも不思議だったが、そういう分割は正統的な政治哲学からも認められる。問題はそのことが起こす結果だけであって、おそらくグアンタナモ収容所について批判するアメリカ人も、基本的には政治責任の問題としてブッシュを非難するわけで、単なる法律違反として問題視するわけではない。

関係あるのかわからないが、こんな話もあった。


小室直樹は、ソビエトやドイツと比べても、イギリスとアメリカほど国際法を堂々と無視する国はない、と何カ所かで書いています(P192)

それと、Winny開発者逮捕についてのコメントで私が言いたかったこともこれで説明できる。ひとことで言えば、「P2Pは行政でなく政治レベルの問題である。逮捕するなら政治的判断で行うべきだ」ということだ。政治的な意思決定としてP2Pを禁止したり制限するならいいけど、行政レベルでその判断をすべきではない。なぜなら、結果に対して責任を取れるのは政治家だから。ひろゆきも匿名掲示板について、「匿名掲示板がいらないとみんなが思うならすぐにやめますよ」というようなことを言っていたが、これも政治的決断としてそれを判断してほしいという意味のような気がする。


日本人は法的なものの考え方が国際社会と根本的にずれている(P175)

という指摘が、非常に正統的な学者から出ていることが重大だと思う。