「私」の変化に対応するフレキシビリティー


人々は「世界は変わり、私は変わらない」と信じて、将来の生活設計や人生の最適解について語る。話は逆なのだ。世界の変化はかなりの確度で予測可能だが、「私」の変化はまったく予測不能なのである。


だから最適な将来設計というのは、「私がどのように変化しても、対処できるようなフレキシビリティー」を備えるということである。

逆に、最悪の将来設計は、「『私』が変化した時、『私』が窒息してしまうような人生」だな。「私の可動域」という概念は面白い。

一人称主語をコロコロ変えるこのブログの試みは、対読者としては、とても成功しているとは言えないのだが、こちらとしては、「私の可動域」を広げるちょっとしたエクササイズである。「私の可動域」を「僕の可動域」や「俺の可動域」に広げているわけで、軽いストレッチ運動くらいの意味はある。

一人称主語がたくさんある言葉を使うメリットが、もっと強調されてもいいかもしれない。

(関連記事: 主語と主体)