2ちゃんの挑発をジャーナリストは受けて立つべきなのだ

武田徹さんのオンライン日記の5/27より。


こうした2ちゃんの嗅覚を(叩き方をでは、もちろんない)ジャーナリズムも備えるべきではないかとあえて問題提起しておきたい。ジャーナリズムが穏当の意味で<権力の番人>であるために、こうした強弱の潮目の変化を感じ取る鋭敏さが必要なのだ。弱者は強者に転じ、強者は弱者に転じる複雑な権力のダイナミズムを現実の社会は擁している。こうして流動的に立場を変える強弱のあり方を察知することは、ジャーナリズムがバッシング・メディアになるためではもちろんなく、そうした潮の流れに柔軟に対応して、常に権力の監視者、批判者として一貫するために、だ。

これだけまっとうな意見ばかりだったら、私は安心してうなづき系になります。

でも、意地になってひとことだけ言うと、「嗅覚を備える」というより「嗅覚を借りる」の方がもっといいと思う。嗅覚の鋭い人は2ちゃんねるにもブログにもたくさんいて、数で劣るジャーナリストたちは負けてしまうと思う。

「鋭い嗅覚」を嗅ぎわける、言わば「メタ嗅覚」が必要なのではないだろうか。