みんなってあんたと誰?

ネ タ の タ ネへのコメント


「お前にはみんな迷惑してんだよ!」って何回も言われたことあるんですけど、「みんなって、あんたと、あと誰?」って聞くと、たいていは答えがない。不思議ですね。

この日の一連のエントリーでhizzzさんが問題にしていることの、見事な要約ではないかと思います。


「俺はお前に迷惑している」と言われるならば、「わかりました。じゃあお互いがよりハッピーな状態になれるように話し合いましょうか」と言えるんですけどね。

「俺はこのプロトコルの機能不足で迷惑している」「わかりました。じゃあお互いがよりハッピーな状態になれるプロトコルを選んで/作って豊かな通信をしましょう」と言えるのが、ダムネットワークなんだと思います。「みんな」が使う基盤であるIPというプロトコルに過剰な機能があったら、これができなくなります。

技術の話と倫理の話がこのように深いレベルで共振するのは、別に偶然ではなくて、どちらも多様性の価値を認めているからです。

みんながいろんな考え方をして、違う考えの人と(事故の可能性を見つつも)つながりたいと思えば、「みんな」のせいにすることはなるべく少なくして、各自が自分の責任で、ひとつひとつの衝突に対していくしかないわけです。

インターネットがIPで作られているのは、「インター」ネットであるからです。個々の会社の中のネットワークはそんなふうに作る必要はない。

例えば、NTTの通信回線にパケット通信サービスというのがありました。これはインターネットで使われているTCP/IPとよく似た、「階層化プロトコル」で運用されていたんですが、一番の違いはIPに相当するネットワーク層で再送の機能を持っていたこと。これがあると、TCPに相当する個対個の通信規約は楽になるんですが、ネットワークに異質な端末が参加できなってしまうのが問題です。従って、機器を審査するだけでなく相手の運用体制までチェックをしないと、「みんな」の一員となれない。ネットワークに変な奴を接続すると、ネットワーク全体に深刻な問題が起こります。

実際に、私は中央のコンピュータのSEをやっていて、端末を一個か二個追加するだけのことで、トラブルに備えて休日出勤してスタンバっていたことが何度もあります。汎用機のネットワークは、メンバーがひとり増えるだけでたいへんな作業でした。技術のレベルが違うこともありますが、定常運用時の効率を重視するとそういうアークテクチャにせざるを得ない。閉じたネットワークでは、それが正解です。

インターネットが急速に拡大したのは、とりあえず仲間にするのに、審査がいらないからです。その為に通信の効率が犠牲になっている面もあるけど、あえてそれを重視したんです。気軽に接続して動かしてから、個別の問題を事後的に調整していくことがやりやすくなっている。新規参入者はいろいろな問題を起こすでしょうが、それがネットワーク全体に波及しないようにできている。新規参入者に文句を言う人は決して「みんなが迷惑している」とは言わず、「俺はお前に迷惑している」と言うのです。

だいたい、WEBで使われている(あなたが今これを表示した時、あなたのパソコンが使った)HTTPというプロトコルは、新参者です。TCP/IPができた時、インターネットができた時にはそんなものなかった。後から出てきて大きな顔をしています。日本のインターネットでは、最近はまた別の新参者がのさばっているようですが、「みんなが迷惑している」と言う人がいたら、こういうことはあり得ないんです。新しい対話の方法は作れません。


1人称で語れ、語れなかったことを他人のせいにするな。自分への怒りと憎しみを他人への憎悪と不信にすりかえるな。それさえしなければ、世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。

森 達也さんの言う意味で、1人称で語ることを求める技術によって、豊かなインターネットを我々は構築してきました。「みんな」という言葉をなるべく使わないで、その為に効率が少し悪くなるのもがまんして、多様性に開かれたネットワークを構築してきました。

今問われているのは、「多様性」と「効率」のどっちを優先するかという問題で、そのキーポイントは、この「みんなってあんたと誰?」という問いではないかと思います。

(追記)Bonvoyageさんが、続編を書かれたそうです。(コメントありがとうございます)