Winny開発者逮捕についてのコメント

ある人からコメントを求められて次のような主旨を答えました。(かなり整理して補足してあります)

私はWinnyについては、開発者の匿名発言をフォローしているだけのものですが、その発言の内容には多いに共鳴する所があります。以下、彼の断片的な発言から自分なり理解した所を述べます。

彼の発言内容からは、反社会的、破壊的な意図は読みとることはできません。彼は著作権というシステムの理念を非常に尊重していると思います。彼が問題提起しているのは、その理念を実現する為の手段として、現行の著作権法が有効なものかどうか、ということです。

理念とは、良いコンテンツを作成した人が、そのコンテンツを評価する人からその評価に見合った報酬を受け取るべきだということです。良いコンテンツを創造した人がむくわれるシステムがあれば、それにはげむ人が増えて、社会全体として創造されるコンテンツはより豊かなものになる。このことは、技術の進歩と関係なく、常に尊重されるべき立派な理念です。

それで、その理念を実現する為の手段として、現行の著作権法があってそれに関する社会システムがあるわけです。もし、その理念を実現するもっとよい方法があれば、その方法に移行することを検討してもいいのではないかと、47氏は主張しているのではないかと思います。

彼が提案する代替案とは、P2Pネットワークによるコンテンツの流通と、デジタル証券システムによる対価の支払いです。彼は前者については、プログラムのレベルまで具体化して提案し、後者について概念モデルを提示しています。どちらも現行の技術で充分実現可能な提案です。

複写を制限することを主体とした現行のシステムと、彼が提案するシステムのどちらが本当に理念を効果的に実現するか、そのことは議論の余地があるでしょう。私は47氏の提案の方が有効であると思いますが、そうでないと考える人もいるかもしれません。

ただ、ハッキリしているのは、そういう代替案を提案するのは、違法なことでも反社会的なことでもないということです。彼に逮捕に相当する違法行為があったのかどうかはわかりませんが、そのような議論を呼び起こすことは、犯罪ではありません。

現行のシステムは、コンテンツ作成者のみでは維持することができず、中間に多くの代理人が必要となります。その人たちにとっては、47氏の提案するシステムは困ったものですが、その人たちの本来の存在価値は著作権の理念に貢献することにあるわけで、自分たちの利害と社会全体としての得失をごっちゃにして論じることは不当なことです。

まず議論すべきは、どちらのシステムが社会全体で豊かなコンテンツを産み出すかということです。47氏の反社会性を強調する人たちは、そのような議論を抑圧したいのではないでしょうか。

技術の進歩によって不要となる職種について、一定の期間補償を与えるべきだという主張なら理解できます。ただ、それは理想のコンテンツ配分システムが何であるかという議論とは、切り離して考えるべきです。

47氏が、法律に照らしあわせて逮捕に相当する違法なことをしたのかどうか、それについては私はわかりません。むしろ、どういう法理で有罪とされたのか興味があります。法律に詳しい人の説明を聞きたいと思います。

ただ、彼が違法行為をしていたとしても、それと関係なく彼の提案は有効です。少なくとも、彼の提案から、著作権法の理念を否定する主張は私には読み取ることはできません。

著作権法の理念に共鳴する人は、これについて真剣に考えてほしいと思います。

もちろん、私の考えと違う人もいるでしょう。著作権法の理念を否定する主張も自由です。豊かなコンテンツ創造より重要なことがあるから、そちらを優先すべきだという主張もあり得ると思います。47氏の提案するシステムは、豊かなコンテンツを創造するのは確かだけど、一定の人たちに我慢できない負担をもたらすので許容できない、そういう主張をしてもいいでしょう。実際に、そうとしか解釈できない主張をする人がたくさんいるようです。

豊かなコンテンツを創造することより重要なことがあると言うなら、誰がどのように困るのかを明解に教えてもらわないと議論になりません。

(技術的評価について)善悪とは関係なく、純粋に技術的にWinnyを評価するなら、一番注目すべきことは、その適応力です。

たくさんの素人によるP2Pネットワークを稼働させるということには、非常に多くの不確定性があります。誰がいつどこに何をどのように通信するのか、そのほとんどが予測できません。

そして、原則的に開発者は運用中のシステムに介入して、監視したりコマンドを打って調整することはできません。プログラムが全てを自動的に実効しなくてはなりません。

このようなシステムの難易度は、特定の側面に限って言えば、火星探査機に匹敵すると思います。

Winnyの基本的な設計はFreenetという既存のシステムを改良して使いやすくしただけのものですが、技術的には大変高い評価を与えられるべきものだと思います。

(追記)

ちょっと補足すると、以下の三つは区別すべきだと思います。

  • 倫理的に不当だが違法ではない行為
  • 違法だが逮捕には相当しない行為
  • 違法であり逮捕すべき行為

もちろん、違法である限り、誰をどういう容疑で逮捕しようが警察の裁量の範囲内ですが、何を優先して何を重大視するのかに、行政としての方針は現れてきます。その方針は、国民全体の利益にかなうものでなければいけないはずです。恣意的に、目ざわりな奴を微罪逮捕することは許されません。

47氏が自分の理想とする流通の方法を、プログラム配布という一種の強行手段で広めたことは、倫理的には望ましくない行為かもしれません。

たとえそうであったとしても、それが即、逮捕していい理由にはなりません。そこには、法理論的に明確な違法性があるかどうか、行政の方針、バランスとして逮捕が社会の利益にかなうものかは、チェックされなくてはならない。

そして、その判断が、一部の者の利益を代弁して歪曲されたものであってはならない。

さらに、もし仮にそのような観点で吟味してみて、確かに逮捕に相当する違法行為であったとしても、その事実と彼の主張するコンテンツ流通のシステムは切り離されるべきです。

携帯の基礎技術を開発した人が殺人罪を犯したり、何かハレンチな行為をしてつかまったとしたら、みんな携帯を使うのをやめるのか?

あくまで、主眼は、何が社会全体の利益になるかです。それが最も重視されるべき論点だと思います。

そして、その観点から重要なことは文化の多様性。おそらく、現在はCDが10万枚売れないアーチストは、プロとして活動できません。現在の流通は、それ以下のアーチストをささえきれません。

デジタル証券は、ユーザの良心に依存する所が若干あります。それによって、現在、大量のCDを売るようなアーチストは、受け取るお金が少なくなるかもしれません。

しかし、10万枚は売れないけど1万人の熱狂的なファンを獲得できるようなアーチストは、このシステムで採算点に達する可能性がかなり高くなる。文化の多様性という観点では、明らかに現在のシステムより有効なのです。それが第一に重要な論点です。

そして、次はP2Pという技術の可能性。

おそらく、一般ユーザのP2Pに対する認知度では、日本は他の国を圧倒的に引き離してトップを走っています。P2Pがどういう技術で、何ができて、どういう可能性があって、どういう危険性があるか、日本人は他のどの国よりよく知っている。

これが経済的に国際競争力の点でどのくらい重要なことであるのか。

もちろん、開発する側の技術力も重要ですが、それを経済的、社会的なシステムとして実地に運用していく上で、ユーザ側の認知度の方がずっと重要です。

今現在、世界中でどれだけのパソコンでスクリーンセーバーが走っているのか想像してみてください。P2Pはその遊んでいるマシンを全部有効活用できるんです。ゼロから無限を産み出すような魔法の技術です。

わが国が、この非常に重要な技術でトップを走っているのは、ほとんど全て47氏一人の功績です。

この可能性をつぶすことが、わが国にとって、本当にいいことなんでしょうか?経済をだめにして文化を貧しくして技術者をビビらせて若者を怒らせて、いったいこの国に何が残るのか?