「在日」をアンタッチャブルにしないためには

(1/16追記: この項目はこちらと合わせてお読み下さい)

rysさんのツッコミにお答えします。


在日外国人(ほとんどの場合朝鮮人)なだけで、ズルして金儲けできるような感じがして不快です。

確かに私は、在日外国人(ほとんどの場合朝鮮人)の方はズルして金儲けできる機会に恵まれているのではないかと推測しています。全ての在日の人がそういうことをするとは思いませんが、かなりの人がそういう既得権を持っていて、その既得権の為にさまざまな自分の権利が侵害されているのではないか、もしそうならそのことは問題だと考えています。引用元のてんこもり野郎さんも、自分の経験から同様のことを考えてこう書かれたのだと思い、そのまま引用しました。

そう考えるように至った理由やソースは、このブログで何度か触れています。

もし間違っているなら、具体的なソースを示してどこがどう間違っているか教えてください。私が欲しいのは、一方的な主張ではなくて噛み合った議論です。この問題に関しては議論することが自体がタブーになっていて、そのようなオープンな議論、互いの主張をきちんと受けとめて反論しあうような議論は存在しないと思います。ですから、風説に近いようなあいまいなソースを元に推測せざるを得ないのです。もし違うなら教えてください。

それとも、事実であるとしてもこのような表現は人を傷つけるからよくない、という主旨でしょうか?そうでしたら、すぐ下のjounoさんのツッコミのように具体的にどこをどうすべきか指摘してください。

jounoさんの指摘は、「引用はそのままで仕方ないとしても注釈をすべき」とか「自分で選択した職業等と、生まれながら避けられないものは扱いを区別すべき」等の、具体的なアドバイスを汲み取ることができます。それは、今後の参考にしていきます。

ただし、私は、文章を書くということは、常に人を傷つける可能性を秘めているので、100%その可能性を避けるためには、書くことを放棄するしかないと考えています。それを前提とした上で、できる限りそのようなことは避けるように配慮しているし、これからもそうします。

「できる限り」と言う中には、私の文章力、知識、時間も含まれています。私は、限られた時間の中でこれを書いています。その中で、できる配慮は限られています。

特に、今回の場合は他人の言葉の引用ですから、より難しくなります。「在日」という言葉を抜かす、つまり、元の文章を変更して引用することは、引用元のてんこもり野郎さんに不快な感情を与える可能性があります。ですから、引用した上で「私は全ての在日朝鮮人の方が悪い人であるとは思っていません」と注釈をつけることになります。実は私もそれを少しだけ考えました。しかしそのように書いたら、どうしても、その注釈が浮いてしまい文章のリズムが崩れてしまいます。よほど時間をかければ、もともと私の書きたいことを書いて文章のリズムも崩さず、そのような注釈を上手に含めることもできたかもしれませんが、私に使える時間の中では、そのようなことは不可能でした。

このように書くと、「それだけの時間もかけられないなら、この問題について一切発言するな」という言われそうな気がします。あるいは「こんな面倒なことに首をつっこまなければいいのに」という人もいるような気がします。確かに、私はこの問題については、程度の低い嫌韓2ちゃんねらレベルの見識、知識、教養しかないのですが、そういう人間が、自分の思う通りのことを書くとトラブルになったりするとしたら、それはどこか不自然でおかしいと思います。

無自覚的単一民族である日本の社会の中でマイノリティーであることは、おそらく、そうでない人には想像を絶するほど大変なことがたくさんあると思います。それとバランスを取るためには、制度的な保護も必要でしょう。

しかし、何より必要なのは、互いの立場を理解して納得しあって配慮することだと思います。そのためには、何より自由に議論ができることが必要です。議論を許すというとは、私がここに書いているような(あるいはもっと)乱暴な議論も許すと言うことです。

議論する人にあるレベル以上の負荷をかけるとしたら、それは議論を許さないことと同じです。それでは制度もコミュニティー内部の団結も逆効果で、いつか逆のルサンチマンが暴発してしまうと思います。

実は、今日はこれじゃなくて別の非常にいいネタを書くつもりだったのですが、こんなことの為に、そのいいネタが書けませんでした。それは私にとっては非常に不快なことです。

不快なことをただ「不快です」と言うのは、読む人にとっては不快なことだと思いますが、それがわかっていても書きたいほどそれは不快なことです。そのことはrysさんにお伝えしておきます。