”電気はコンセントから”という前提を疑ってみる

このブログは、素晴しい写真が見物なのですが、電力に関する一連の文章も非常に興味深いです。


すべての電気機器が常に等しく、同じようにエネルギーを供給される必然性、というのは平沢さんの言う「今まで全く無意識にやっていた変な習慣」なのかもしれない。冷蔵庫が止まるのは問題かもしれないが、廊下の電気の明るさが、電力状況に応じて時々、半分の明るさになるのは大きな問題だろうか?

問題ではありません。問題ではないというより、むしろ照明の明るさが自然に、不規則に変わる家って素敵じゃないかと思います。

たぶんそのうち、中央から一括で供給され安定した品質を保つ勝ち組用の電気と、分散で互いに補いあう不規則な負け組用の電気が、それぞれ別に供給されるようになると思います。そうなれば、負け組の人は電力不足の為に、不規則に予期せぬ休みの日ができるでしょう。風力発電なら風がやんだら休み、太陽光発電なら曇ったら休み。

もちろん、私は負け組用の電気で働きたい。

これって典型的なイノベーションのジレンマっぽい話なので、負け組用の電気が勝ち組用の電気を駆逐しちゃう可能性が高いですが、その間に「晴耕雨読」という言葉が復活し流行って定着することを望みます。