正解は一つ、その正解はRMSが知っている

RMSもESRも「近代思想の克服」とは言えないという指摘。実に鋭く本質的な批判だと思います。

狐の王国さんのコメントも、褒めている前半も、疑問点を指摘している後半も、両方とも興味深いです。


資本主義の競争性と共産主義の共有性、それから自由主義の多様性、これらが全部あるのがオープンソースか。

このまとめ方がうまいですね。


オープンソースの競争はそんなに過激ではない、むしろたいした競争は無い

という批判については、現状としてはそうかもしれません。私は、現状のある側面を過大に解釈してその行き着く先を前提として論じている、つまり「知的リソースがどんどん豊かになるとオープンソースはこうなるだろう」という予想を言っているわけです。

Linusについてはやはり現状でも「あいつの代わりに俺が」と思っている人はたくさんいるとは思うのですが、現在の状況と理論的な極限値をごっちゃにしてしまうのはよくないかもしれません。

インドの話をよくするのも、極限の状況に興味があるということです。RMSもESRも単体では「近代思想の克服」とは言えませんが、アメリカにRMSとESRがひとりづついるなら、インドにはRMSとESRが各10人くらいいるのではないか、RMSとESRとLinusが10人くらいづついたら「近代思想の克服」ができるのではないかという感じです。

RMSが独裁的で独善的なのは確かだと思いますが、彼はプリンタが使えなくなった時に、「プリンタの規格を統一しよう」という運動でなくGNUを始めたわけです。そこから生まれたGPLは「ソフトの変種を作る自由の強制」ですね。やっぱり多様性に執着があるような気がするのですが、どうなんでしょう。