ソフトウエアにおける上げ底文化

From svnseeds’ ghoti!

自分のアンテナにsvnseedsさんの更新分として、「automakeきらい」というタイトルと下記の文だけが表示されてました。


無脳設計や人工知能の話では、例外があるたびに人間が出てきてルールを設定するような設計じゃダメだ

「よし、これをネタにWindowsの悪口書こう」と思って、クリックしてさらにリンク先をクリックしたら、自分の書きたいことは、この二つの記事にほぼ全部書かれていました。(しかも、脳内にあったものよりどちらもだいぶ深い)

最近、自分のアンテナのS/N比が格段に向上していて、ネタに困らないというより、ネタに追われて仕事する暇がなくなってます。だから、今回書かないですんだことは助かるのですが、近頃私のアンテナが賢すぎて困ってます。

もちろん、万人向けの賢さでなくて私だけが享受できる賢さだと思うのですが、なんでそうなるかと言うと、私の場合、ありがたいことに自分の記事に言及してくれる人が多い。褒められてもけなされてもそのテーマ(自分の記事)については、周辺知識も含めて一応熟知していることが多いので、その文章を見てわかることが多いんです。

その人が他のことについて書いたらわからなかったであろうことが、同じ人が自分のよく知っていることについて書いてくれると、書いた人についていろいろなことがわかります。その切り口や感性を見ると、自分にとってピンと来るサイトがすぐわかるわけです。

こういう判断はマシンには絶対できない。それは人間がして、更新チェックのような単純で地道な作業をマシンにさせた方がいい。この組み合わせから、ヘタしたら私を破綻に追いこむほどの賢さが生まれるわけです。要するに、マシンは人間の賢さを凌駕しようとしたり置きかえようとしたりしないで、賢さを補助し増強する方向に使うべきだと思います。私は昔からそれが当然だと思っているのですが、どうもそうは思わない人もたくさんいて、そういう人たちが「上げ底文化」を蔓延させているのだと思います。