Javaの理想は好き、でもJavaの現実は嫌い

「もうJavaやのうてええがな」にじゃヴぁでもいいという反論がありました。

「型制約があることによる心地よさ」という件には全く同感です。interfaceや継承をうまく使えば、クラスの階層にアプリケーションの核を表現できると思います。これがビシっと決まった時の心地よさは、プログラミングという行為の本質的な快感ではないでしょうか。

ただ、これは剛速球投手の完封勝利のようなもので、見世物としては成立ちますが、めったにないから面白いという部分があります。普通の人間が真似をすると滅茶苦茶打ちこまれて終わり。私も10年近くC++でプログラミングしてますが、それが決まったなあと思うのは2〜3回で、自分の力不足を痛感することの方がずっと多いです。

最近のJavaはこういう静的な型を持つ言語として直球的な部分を隠すようにしてるような気がしますが、やはり、それを言ってるとついてこれないプログラマの方がずっと多いということではないかと思います。そうするしかないのはわかりますが、そんな風に当初の意思を貫徹できず変な方に行っちゃうなら、最初からそっち方面を目指していた言語がいいということになります。結局、私の場合は「Javaの理想は好き、でもJavaの現実は嫌い」という感じかな。

ただ、Ruby の遅さはRiteでも解決しないと思います。Rubyのスケーラビリティは、分散処理で解決されると思います。そのためにはdRubyの上のレベルに何かフレームワークが必要で、それが現在、Rubyに欠けていることは否定できません。時間があったら、それにチャレンジしたいと思っています。