教育システムが阻害する想像力とイラク戦争 - MIYADAI.com Blog
テレビや新聞、大学の講義などで聞く話の多くが、いかに枝葉末節的であるかがわかる。
というnisimakiさんのコメントにつられて読んでみました。全くそのとおりだと思います。
それで私は思うのですが、ここで提起されている問題は日本人の美意識とかかわることが重要だと思います。
- 日本ではもともとアイディアに対してお金を貸してはいけない
- 官僚が根幹をコントロールし、国民に文句を言わせない
- 国民にものを考えさせ過ぎてはいけない。ものを考えるのは基本的には役人
- 日本でエリートと言えば官僚エリートか財界エリートで民間エリートがいないことが他の先進国と大きく違う
こういうシステムを国民が無意識に望んでいたということです。それは大相撲やプロ野球とK1やプロレスを比較するとよくわかると思います。大相撲やプロ野球は、中央の団体が運営を一元的に仕切っていて、他の団体との交流を嫌います。一度、そこの管理下を離れたらもう戻れないようになっています。
ちょうど、曙が格闘技家へ転身というニュースがありましたが、もし曙がK1のチャンピオンになったら、普通の感覚では「スモウレスラーの強さを世界に知らしめた」ということで功労者だと思うのですが、そうはなりません。彼がどれだけ勝っても、そのことで相撲という競技に注目を集めても、いったん管理下を離れたら「裏切者」になってしまいます。そういう実績をひっさげて相撲協会に幹部としてカムバックするということはあり得ない。実際問題として膝が悪い曙が勝つのは難しいと思いますが、それ以上に彼が今後相撲に関わることは難しいでしょう。
それでは、もし相撲協会が体質を改善して、やり方を変えたらどうなるか。例えば、ボブ・サップがいきなり土俵に上がれるようにするためには、
いろいろな問題があります。どう解決しても、相撲の美意識が大きく変わっていきます。現在の相撲ファンは離れていくでしょう。ボブ・サップ角界入りで破壊されるものが、相撲ファンが相撲に期待する「美意識」です。それを「美意識」として捉えれば、官庁に一元的にコントロールされる日本の社会と相似形になっていることがわかると思います。
曙は外国人力士ですが、部屋に入門して序の口から順番に上がっていった人です。全く違う文化の中でいろいろな暗黙のルールを理解して、それに適応し、その枠の中で勝ちあがって来た人です。そういう点で完全に相撲の「美意識」を理解している。外部から理解しただけその理解には深いものがあるはずです。コーチとしても優秀らしいし、もちろん英語がペラペラだし、こういう貴重な人材を失なうのは、大変な痛手だと思います。
ただ彼を活用できなかったのは、相撲協会が無能であるというよりは、やはり協会自身が「美意識」に縛られているからではないでしょうか。「年寄株」というシステムの為に、曙は出世の見込みがなくて飛び出した、という報道もあります。おそらく、相撲のシステムはいろいろなものがからみあっていて、「美意識」を壊さずに改革するのが難しい。だから、わかっていてもやる気があってもできない。そういうことがたくさんあるのだと思います。
日本で改革が難しいのは、トップが頑固だったり無能だったり利己的だったりするのではなく、そういう「美意識」がトップを縛っているのです。