コーダーレベルの法律家と「マイナスイオン」な大衆

同じプログラマでも、VisualBasicで言われた画面を作るだけのコーダーレベルの人と、フレームワークプログラミング言語を作る人では大きな違いがあります。そして、この違いはレベルの量的な差でなく要求される資質の質的な差です。

つまり、ある枠組みの中で最適な解を手早く求める作業と、その枠組みを作る作業は根本的に違います。素晴しいフレームワークを設計した人が、最上級のシステム設計者であるとは限りません。両者は単なる上下関係でなく、方向が違うと考えるべきです。

これまで法律家に要求される資質はコーダーに似たものです。つまり、与えられた枠組みを詳しく理解して、その中での最適な解を求めるのが仕事でした。法律の条文を現実の事案にあてはめて解釈するのは、プログラミングよりかなり判断する要素の多い作業かもしれません。しかし、大局観よりは目の前の問題に対する最適化が優先されることは間違いないし、探せば答えがある問題であることがほとんとです。

しかし今や法律家には全く違うタイプの仕事が要求されています。上に書いた「Google八分の刑」の刑を執行しないようにGoogle社を縛る法律を作ることを考えてみましょう。この場合の第一の難問は、その詳細な条文ではありません。グーグルランクの計算においてどういう差別は許されてどういう差別を禁じるとか、細かいことは問題ではないのです。最初に考えるべきことは、誰がその法律を強制するのか、です。アメリカ政府でしょうか?国連でしょうか?別の国際組織でしょうか?それとも各国政府がそれぞれに制定するのでしょうか?違反した場合に誰がどういうふうに取り締まるのか?

法律の内容より先に合意形成のプロセスをデザインすることから始めなくてはなりません。従来の法律の概念とはかけ離れた仕事になります。とは言っても、やはり法律の専門家以外には難しい仕事であることは間違いないと思います。ただ、その難しさに量的な要素でなく質的な違いがあることに注目すべきだと思います。

つまり、一般的な法律家にとってかなり苦手な種類の仕事が彼らに期待されているのです。あるいは、優秀ではあるとしてもこういうフレームワークのデザインに対する適性の無い法律家を我々はたくさんかかえているのです。もうひとつの法律の専門家、つまり立法をする人たち=政治家もこのような意味では、政治の枠組みや憲法等の枠組みの中で仕事をしてきた人たちですから、やはり同じ種類の需給ギャップがあります。政治の停滞も、倫理や能力の問題として見るべきではなくて、仕事に対する適性の問題として理解すべきかもしれません。プログラミング言語のデザインを向いてない人にさせているようなものです。何かの委員会が決めたろくでもない言語でプログラムを作りたくはありませんが、法律が今まさにそういう状況になってると思います。

さらに、これは一部の専門家だけにまかせられることでもありません。基本的な案や枠組みは技術者や法律家が作るとしても、影響力の大きさを考えれば、最終的な決定には大衆がかかわることが必然です。「マイナスイオン」の好きな大衆が最終的に決定するのです。

レッシグさんの問題提起、つまり「アーキテクチャ=CODEを意識的にデザインし選択するべきだ。なぜなら、CODEは法や規範や市場と同じように我々の行動に影響を与えるから」は鋭いと思います。しかし、その解決への道筋には、重大な抜けがあります。つまり我々は、適性の欠けた法律家たちに指導されながら「マイナスイオン」の好きな大衆と一緒にこの難問を解決しなくてはならないのです。「マイナスイオン」は日本だけの問題かもしれませんが、このような衆愚の拡大は少なくともアメリカでは同様に見ることができます。レッシグさんの議論は、完璧に頭のいい人向けのもので、この観点が抜けていると思います。もちろん、抽象的な議論としてはそれも必要なものですが、具体化する上では、この二種類の途方もない馬鹿との戦いを抜いて考えるわけにはいかない。

世界で一番頭のいい人の集りであるGoogleが、法律家を騙し大衆を操作してこの二種類のわからずやを出し抜いて、自分たちにとって最もいい答を導くことが無いとは言えません。逆にあまりにもどうしようもない法律が決まりそうになって、それをしないとGoogleが自分の身を守れないような事態もありえます。彼らがそれを「正当防衛」と主張したらどう考えたらいいでしょう?

レッシグさんの問いかけは、それだけでももともと難問ですが、衆愚と適性の無い専門家という欠けた要素を加えることでさらなる難問となり、そこにその二種類の馬鹿を出し抜く知的エリートたちがからんで来てもうメチャクチャ。でも、だからこそ逆に、法律や政治というのが未開のフロンティアになってるわけです。