「ひとつの答」に対する強迫

この日記も陰謀論が出てきてやっと電波らしくなったと安心している人もいるかもしれないが、今日は陰謀論抜きでマスコミを批判する。

マスコミの報道が歪んでいる理由として、「マスメディアは唯一の確定的な解答を提供しなければいけない」という強迫観念があるような気がする。見る方にもあるのかもしれないが、提供する側により強くあるのではないか。

俺がマスコミに期待するのは、複数の仮説を比較検討するための基礎データと、ごく基本的な解釈、整理であって、間違いのない唯一の答が欲しいわけではない。マスメディアの能力に不信があるのではなく、それはマスメディアの役割でないと思うからだ。

少女監禁事件の死んだ容疑者を例にとれば、

という二つの見方がすぐに思いつく。両方の領域に通じていて、妥当性を客観的に比較して判断できる人間などいるわけがない。マスメディアにそれが判断できなくても、何も問題はない。

この二つの方向(もしあるならさらに別の仮説も加えた複数の方向)で、それぞれごく基本的な推論と検証を行ない、全ての可能性を提示するのが、マスコミの使命ではないかと思う。そのようなどっちつかずの報道は嫌われるのだろうか?