「大丈夫」の不良債券

広告が「大丈夫」を供給してると言われて、半分「なるほど」と思うが半分「そうかな」と思った。確かに、コマーシャルをそのように見ている人は多いが、流通と言われても、製造元がどこなのかはっきりしないからだ。考えているうちに、広告は「大丈夫」の金融業であると気づいた。

坊さんの説教はコストがかかる。もっともらしい言い方が鼻につくし、じっと座って聞いてるだけでも疲れる。「ありがたい」話はタダではない。ありがたくもない話を黙って聞いてやるというコストを払ってひきかえに安心をもらうのである。

坊さんは、この支払いを受けているうちに自分が偉くなった気がして、ますます堂々として安心してくる。これによって次の「大丈夫」を供給できるわけで、これはまあそれなりに回転する持続可能なシステムである。

広告から得る安心にはこのようなコストが不要だ。しかし、タダほど高いものはないと言うが、まさにこの安心は一時的なもので、流行りすたりですぐに効果が切れて、別の「大丈夫」が必要になってくる。「大丈夫」だったアイテムが駄目になると、利息がついてよけい不安になる。すぐに次の「大丈夫」に飛びつかないといられなくなる。

それに広告屋の方も、自分が広告でモノを売っても、坊さんのように支払いを受けてないので、あまり堂々と安心できない。その広告を作っている広告屋も別の広告から「大丈夫」を供給されるしかない。これはみんながお互いに返済のあてもなく融資を受けている状態と同じで、一時しのぎにしかならない。最終的にバブルが崩壊する運命だ。実際に今は、のきなみ担保が値崩れして、膨大な不良債権が生じている。