過剰な日常性

ひきこもりOK!にこのような発言があった。


危機的状況になると彼らはけっこうがんばれるんです。震災の時に彼らは大活躍をして、家が再建したらまたひきこってしまったという話があります。彼らは日常に弱く、非日常には強い、という印象です。

SARSの脅威を頑固に拒絶しているような日本の対応のあり方を見ていると、危機=非日常への強い抵抗を感じてしまう。日本にはこのような「日常性」が過剰にあって、ひきこもりの人はその不自然な「日常性」を拒否しているのではないか。俺にはこの過剰な日常性への執着の方が病理的に見えて、そこからの逃避はむしろ健全なものに見えてしまう。なお、上記の発言の意図、文脈と著者の斉藤氏の主張は、これとはあまり関係ないので念のため。