戦略的に「反省」しよう

あることができる奴はだいたいそれができることが当然だと思っている。イチローに「どうやってヒットを打つのか」と聞いても松井に「どうやってホームランを打つのか」と聞いても、「ボールが来たらバットを振る」というような答しか返ってこない。そういうものだ。

「反省」というのもひとつの能力であって、反省する奴はあたりまえのように自然と反省する。だが「どうやって反省するのか」と聞かれたって答えられない。おそらく、この日記のようなシチメンドクサイ文章を喜んで読むような奴ははみなそのアビリティを持っている。だから聞いて驚くかもしれないが、世の中にはそういう能力に恵まれてない不幸な方もたくさんいるのだ。

しかも、ただでさえ不足しがちなその能力がこの日本では非常に偏在している。全く「反省」ということができない奴は、特定の世代に固まっている。毎日、電車に乗っていれば、週に一度はそういう人にでくわして何か嫌な思いをするんじゃないだろうか。

そして、株価がこんなことになってしまったのも、この「反省」能力の偏在のためである。世界中から「しっかり反省しろ」と言われているのだ。

だから、俺たち若い世代が上の世代の代わりに「反省」しなくてはならない。ただし、あらゆる能力がそうであるように、能力は戦略的に使わなければ効果を発揮しない。だから戦略的に反省しよう。

「なぜ俺たちは反省できない人たちにそれをまかせているのか?」

「それは正しいことなのか?」

「できることは全部しているのか?」

なぜこんなことを言うのかと言えば、このアビリティを無反省に使う奴が多いからだ。思いあたる奴はしっかり反省してもらいたい。これからは、何かにつけて大きい顔をして、どこでもでしゃばって、場所をわきまえず本音でしゃべり、身近な所からさっさとクーデターを起こすのだ。