桶川事件判決前に不適切発言

遺族は「賠償金を取る」というかたちで責任を明確化したいわけだが、この本部長にはその意図は響いてないようだ。こういうのが役人の大多数の感覚なんだろう。ところで、ひろゆきも「お金」というかたちで責任を明確化されようとしているが、やはりあんまり響いてないようだ。この両者は対極にある極端な例だが、そういう意識は少しずつみんなの中に茅生えている。どうも「お金」というものに関して、社会的合意が崩れているような気がする。「お金」に関する合意は、多様化された価値観をひとつに結びつけて社会をスムーズに運営する重要な役割があると思うが、それがバラバラになってるわけだ。

本来は、こういう時こそ経済学者が頑張るべきなんだよね。景気の予測より「お金」の意味や役割を明確にすることが経済学の重要な使命だと思う。