「ひきこもれ」 吉本隆明

コンピュータは情報を「処理」するが、人間は情報を「熟成」する。コンピュータにできないことを何かしようと思ったら「熟成」のための時間を持つしかない。「熟成」するための孤独な時間は、条件によっては集団の中にいても持てないことはない。たとえば、学校という集団の中にいても、計算問題をやったり飛び箱を飛んだりする時間の中に、瞬間的にひとりになれる時間があるかもしれない。それがあるならひきこもる必要はない。それが難しかったら、ひきこもるべきかもしれない。どちらがいいのかは、学校や会社や家庭の質が決めるのではないかと思う。

・・・みたいなことをこれまでたくさん書いてきたが(たとえば出しっぱなしの害)、ばななの親父さんが、似たようなことをもっとすっきりした言葉で言っていた。



世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身につけないと一人前になれない種類のものです。(中略)テレビのキャスターのような仕事のほうが例外的なのです。

どっちが多いのかは知らないが、プログラミングにはこういう質が確かにあると思う。

昔、新人にプログラミングを教えている時、頭もよくて意欲も理解力もあるのになかなかちゃんとコードが書けない奴がいて不思議に思うことがあった。何が欠けているのかがわからなくて謎だった。そういうのは「ひきこもる」能力の不足と考えると説明できるような気がする。教えたことが全部、うわすべりして彼を通りすぎてしまい、何ひとつ「のみこむ」ことができないのだ。コードを書くという作業は、基本的には人のマネをしていればいいのだが、いったん「のみこんで」からマネしないと書けない。その「のみこむ」という感覚は会社に入てから身につけようったって、なかなか難しいものがある。

それと、この人のこういう感覚もいい。


市民運動をやっている人たちは、自分たちで不安感や恐怖感を作り出しておいて、雰囲気でものを言っているところがあると思います。開かれているようで閉じた集団なのです。

不安や恐怖を「のみこめ」ないと、こうなっちゃうんだよね。