動機

40過ぎてからめっきり食欲がなくなった。「ああ、ハラへったああああ」という経験がほとんどない。一食抜けば抜いた分だけむしろ食えなくなる。だから、「腹が減ったから」飯を食うということがまず無い。ほとんどの場合「時間が来たから」「なんとなく」食事をしている。

このような薄弱な動機は動機として成り立つのだろうか?「時間が来たから食事をするというのは、はなはだ曖昧な動機であって、本件においては動機として認定しがたい」とか言われてしまいそうだ。

進学、就職、転職・・・俺の人生において、大小問わずほとんどの行動は、これくらいの曖昧な動機とも言えぬ動機で起こっている。たいていそうだろう。就職するのにハッキリとした動機のある奴なんてめったにいないし、いても大半は勘違いで、かえってすぐにやめたりする。

人間の行動というのは、だいたいそんなものだと思うし、それで文句を言われることもめったにないが、犯罪を犯す時だけはそうはいかないようだ。黙秘すると警察も司法もやっきになってそれを追及する。しかもこういう場合は、「悪い奴だからポアしました」とか「神様が殺せと言いました」などと言うと、話がさらに長くなる。早く終わらしたければ「金目当て」か「怨恨」じゃないとだめみたいだ。つまり、犯罪者はある特定の世界観に適合した自分のストーリーをでっちあげる義務があるらしい。悪いことしてるんだから同情はしないけど、それがなかなかできない奴もいるんじゃないかと思う。

そんなことより俺は「自分の生まれてきた動機」を知りたい。