「愛のひだりがわ」を読め!
経済の停滞、創造性の減退、治安の悪化、モラルの崩壊等が極端にひどくなれば、どこかで破滅的な結果をもたらすだろう。その後何が起こるかは予想できないが、破滅の後にはいくらかでも再生の可能性もある。しかし、これらがこのままゆるやかゆるやかに、慢性的に進行したら、日本は住みにくいイヤ〜な国になるに違いない。大人にとっても楽しい状況ではないが、そのような貧しい国、経済的にも貧しく、こころも貧しい国に生まれた子供たちには、どのような希望があり得るだろう。
筒井康隆は、そのような近未来の貧しい日本を舞台にして、非常に希望に満ちた物語を書いた。
ちょっとでもツツイのことを知ってる者が、この「愛のひだりがわ」という小説を手に取ったら、まず字がでかくて漢字にはふりがながふってあることに驚くだろう。これはいったいどのような冗談なのかと思って読んでいくと、エロもグロもSFもパロディもドタバタも超虚構も出てこない。ひとりの少女が、困難な状況の中で多くの人の助けを借りて、ひとつの冒険旅行の中でさまざまな体験をして成長していく、というどこから見てもまっとうな児童文学である。あまりのまともさに心底驚き、
「なんだなんだなんだ、これはいったいなんなんだ」
と筒井の登場人物のようにわめき出す頃には、もうその筋の面白さに引きこまれている。もともと筒井は達者な小説家であり、児童文学だろうがなんだろうが、本気で書けば何だって面白いものを書く。それは当然だが、「読み物」としての面白さにグイグイつりこまれていくような経験をすることになる。そして、その勢いであっと言う間に読み終えてしまうが、その感動は長く続く。さらには、そのテーマについて何日も何日もいろいろ考えている自分を発見する。そういった、元来書物が持っていたはずの原初的な体験の詰め合わせのようなものが、この小説にはつまっている。
このような宝石のような体験は大事にしまっておくものだが、ひとつだけ言ってしまうと、この中で描かれている、あらゆる意味で貧しい日本はすごくリアルである。情けない人間がいくらでも出てくる。そして、この背景をリアルに書けば書く程、主人公の少女がまっすぐに成長していくことが困難になる。筒井の頭の良さと観察力が少女の困難を作りあげ、別の何かが少女を困難の中から救いあげる。マッチポンプの両側を筒井は命がけでやっている。
リアルな物語の中で、困難に陥いった登場人物を救うことは、実は素人が思うほど簡単ではない。もちろん作家には自由意思があるから、リアルでないハッピーエンドをでっちあげ、物語を破壊してしまうことはできる。物語を殺す自由はあるが、物語を殺したくなければ作者にできることは少ない。
少女の困難を作りあげたのは、筒井の作家としてのトータルな力量であるが、その困難から少女を救ったのは、別の何かである。「別の何か」とは何かと言えば、安易な言い方をすれば「魂の強さ」である。真剣に言うとどうなるかと言うと、やはり「魂の強さ」である。他に言いようがない。
・・・という、余韻のある文章の終わり方が俺は好きだが、今回ばかりは非常事態なので、不本意ながら蛇足をつけ加えて終わることにする。なんでもいいから「愛のひだりがわ」を読め。子供も大人も日本語のわかる奴は全員読め。日本語のわからん奴は日本語を勉強してから「愛のひだりがわ」を読め!