電波

こんな文章でもうまく書けた時は、自分の脳でないどっかから降ってきた言葉のように感じることがある。

どれくらい自分のものであると(自分のものでないと)感じるかと言うと、拾ったサイフを交番に届けた時くらいだ。持ち主が表われなかったら、この文章は俺のものだ。持ち主が表われても10分の1は俺のものだ。でも、無条件にこれは全部俺が書いたのだといばる気にはなれない。

サイフと違って、俺の頭の中に降ってくるこの言葉は、俺が交番に届けないと誰も拾ってくれない。たまにサボってほっておくと、どっかに行ってしまうのだ。実際、仕事が忙しくていくつか紛失してしまってもったいない気がするから、仕方なくまた書いている。

これを読んでるあなたと同じように、俺もこんなことを書く奴は電波だなあと思うのだが、著作権を巡るネットの状況は、そういう方向に進化しているような気もする。ほらまた「それこそが神の意思だ」という言葉が降ってきた。