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人間には成長するタイプと開花するタイプがある。

例えば、リナス・トーバルズが最初に386マシンを手に入れた時に何をしたかと言うと、彼は端末ソフトを作った。彼は、コードを書くことが好きでCPUを動かすことが好きで、メールを書いたり読んだりすることが好きだった。 3つの要求を同時に満たすために、端末ソフトを作ったのだ。端末ソフトというのは、送信と受信を同時にこなさなくてはならないので、どうしてもマルチタスク的なプログラムになる。マルチタスクというのはOSの卵みたいなもので、この卵が10年かけてLinuxに育ったのである。

彼は今でも、コードを書いたり読んだりしてメールを書いたり読んだりしている。 10年前と同じことをしている。世界にとって彼のコードとメールの持つ意味は大きく変わったが、彼にとって彼のコードとメールの持つ意味は変化してない。彼は、それをわずか3つの単語で表現した。「Just for fun」

これが典型的な開花する人間だ。それは最初からそこにある。世界と本人は、それを掘り出すために多少の時間と努力を要する。だが、最初からそれはそこにあって何も変化していない。

一方、成長する人間もいる。ジョン・レノンは10代の早い時期にギターを手にいれ、それから死ぬまで一貫してシンプルな言葉で歌を歌い続けた。しかし彼は、歌を歌いながら、ある時は単なる街の不良であり、ある時は世界的なアイドルであり、芸術家になり革命家になり探究者になり主夫になり、最後に単なる一人の歌い手として歌を歌いそして死んだ。

彼の歌は世界にさまざまな意味を与えた。彼は自分の中から実に多くのものを掘り出した。彼のミュージシャンとしての生涯を見て最も驚くべきことは、彼には代表作というものが存在しないことだ。どの歌よりも彼の人生の方がずっと大きい。

彼のシャウトは成長する者の苦闘の叫びであり、彼のバラードには成長し続ける者のみが持つ充実感と静けさがある。彼は大きな魂を持った人間であり、大きな魂が前に進むためには、たいへんな勇気とパワーが必要である。その運動エネルギーは今だに多くの人を動かし止まる気配がない。

そして、僕は開花する人間と成長する人間を観察して大きな疑問を持つ。たったの数十年でこのような結果があるというのはどのような奇蹟なのか。例えば、星の年齢の方が宇宙の年齢より上だとしたら何かがおかしいことになる。実際に宇宙論の試行錯誤のある段階でそのような冗談のようなことがあった。 100億年かけて成長した星が、50億年の宇宙の中に存在しているとか。でも僕も人間の中にこのような状況を見るのだ。

僕はリナスの中にネットの歴史よりはるかに長い時間かけて熟成されてきた何かを見る。それは「つながる」ことの価値だ。彼は人と人とがつながることの価値を言葉でなく、自分自身の存在を用いて具現化している。

僕はジョンの中にどんなミリオンセラーよりはるかに普遍的な何かを見る。それは世界がここにこのようにあることの意味だ。成長するための場として世界があることの意味。成長する者として人がいることの意味。

僕はこのようにして、魂の存在を論理的に実証し、世界の意味を獲得したのである。