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読売の日曜日の朝刊はなぜか負けたサッカーが一面だ。なんだこれは?と思って見てみたら、あきれたことに中田の悪口だった。「中田はPKをはずして笑ってる」とか書いている。

スポーツ面を見ると柱谷の解説が出ているが、その出だしは「PKで負けるのは誰のせいでもない」。当然ながら、そこに至る過程を分析していてPKについてはそのひとことだ。なんで負けたサッカーを一面にのせる?なんで柱谷の解説を一面にのせない?中田を責めるなら、なんで本質的な所に行かないでPKを問題にするか?どうみても一般大衆を煽動してアンチ中田ムードを醸成してるようにしか見えん。実に品性のないことだ。

ラソン高橋尚子は実力は世界レベルなのに、実に謙虚だ。「みなさんの声援に押されてゴールできました」「監督とコーチとスタッフのおかげです」「楽しい42kmでした」常にこういう優等生的なことを言う。しかし、俺はよおく話を聞いてたからわかったが、彼女と中田には非常に大きな共通点がある。それは言葉に嘘がないことだ。

高橋の言葉は、マスコミや多くの日本人の期待に沿うものだろうが、彼女は「期待に沿うような」言葉を口にしているわけではない。正直な言葉を言っているだけだ。正直に「みなさんのおかげ」「監督やスタッフのおかげ」と言える所に彼女の天賦の才があるのだ。

その問題の一面のコラムには、トルシエの中田をかばう言葉が言いわけのように添えられてて、それがまた見苦しい。表面的には両論併記だが、よおく読むと「トルシエはスターの中田をえこひいきしたから負けた」と読める。トルシエが嫌いなら「トルシエが嫌いだ」と言えよ。中田が生意気だと思うなら「中田が生意気だ」と言えばいいだろう。

こんなに正直な言葉を失なったマスコミには、中田のことももちろんだが、高橋のこともあれこれ言ってほしくないね。そして、世界に通じる二人が揃ってストレートな言葉を持っていることをもっと真剣に考えるべきだ。