負け方

将棋というゲームはとても不思議な終わり方をする。投了と言って負けた方が終わりを宣言するのだ。たいていの場合、勝ってる方には決定権がない。「もうこのへんでいいだろう」と思っても、相手がウンと言うまでは指し続けなくてはならない。どこで終わるかに関して、ルール上の制約や審判(立合人)の介在する余地もない。明確なルールがないだけでなく、慣習的にも標準は存在しない。棋士の裁量にまかされており、実際、みんな自分の美意識と将棋観に従って、さまざまな終わり方をする。

プロレスにもギブアップはあるが、それで決着するのは割とレアケースだし、失神KOとか反則負けとかタオル投入とか、ギブアップしなくてすむ逃げ道がいろいろ用意されている。将棋にはそんな甘さはなく、負ける場合はほとんど必ず「マイッタ」を自分で宣言しなくてはいけない。

また、このように崩壊した仕事を世間に晒すことを日常的にしなくてはいけない商売も珍しい。建築家は書き損じた図面は破り捨てるし、小説家は失敗作を発表することはないし、八百屋は腐ったリンゴを売らない。経営者はたまに会社を倒産させるが、たいてい一度か二度で次がなくなる。バグのあるソフト日常的にリリースする会社はあるが、あそこのソフトがいかにひどいと言っても一応は動く。しかし、将棋指しはいくら強くても3回に1回は負けた勝負を新聞に載せなくてはいけないのだ。

別に教訓も結論もない。 40過ぎると、こういうふうに「負け方」についていろいろ考えるようになるというだけの話。