正気と病の同居

河合隼雄*さんが言っていたのだが、不登校の子供が大人をひっかきまわすケースがあるそうだ。例えば、保健室登校をしている子を教室へもどすかどうかで、養護の先生と担任の先生が口論になってしまう。熱心でふだんは穏やかな先生同士が喧嘩になってしまい、なぜだろうとよくよく事情を聞くと子供が相手によって全く違う態度をとっていたりする。河合さんによると、子供の心の中で非常に大きな背負いきないほどの葛藤があって、それに回りの大人が引きずりこまれてしまう、ということらしい。そして、問題が深い子供ほど巻きこむ力が強くて、不思議なほど大人が右往左往してしまうそうだ。

実際にあったことだけど非常に稀なことだとも言うし、そもそも、河合隼雄さんの言うことは理論化したりみだりにあちこちにあてはめてはいけないのだが、私はどうしても、これをバスジャック事件と関連づけてしまう。つまり、あのバスの中で起きた地獄絵図は彼の心の中にあった何かが現実化したのではないかと。あの事件に見あうだけの悲惨さを彼はかかえて生きていたのではないかと。

そして、無責任な第三者としては、あれを両親の間違った対応のせいにして安心したいのだが、今日のニュースでは両親は彼の入院を拒否されて、警察や著名な精神科医に相談していたそうだ。ああいう場合は、自分たちだけでかかえこんでしまうことが最もまずい対応であり、第三者に相談するというのは基本的には正しい対応だと思う。入院に至る過程はどうなのかわからないが、少くとも最後の所ではやるべきことをやっていたと言わざるを得ない。

先日、確信犯のストーカーが「ここが変だよ日本人」に出てきて「悪いことを悪いっていうのは幼稚園児でもできるんだよ」と言っていた。印象的なのがあの男は、ゲストや外国の人の非難をちゃんと聞いて答えていたこと。もちろん、その反論の内容には同意できないが、一方的に自分の言いたいことだけを言うのではなく、相手の論理に対応した反論を展開していた。しかも、表面的な言葉だけでなく意図というか感情というか、かなり深いレベルで相手の言うことを受けとめて物を言っていたのだ。

どちらのケースも通常以上の正気と強烈な病が同居しているわけで、これはひょっとしたらすごくつらいことをしているのではないだろうか。たまたま、今日は別の*17才*が「頭の中の声が命じたから」人を殺そうとして捕まったが、ああいうのが本来精神科の領分である。同じ17才でも、バスジャックの方は正気であってこれとは全く違うケースだ。ある意味では精神科が入院を拒否したのも理解できる。「うちのお客さんじゃない」ということじゃないだろうか。

ソフト屋が*linux*を初めて見た時と同じで、人間はこういう自分の理解の枠組みからはずれたものを見ると、「これはあれがこうなってそれでそういう具合になっている」とか簡単に結着をつけたくなる。まずはヘタな解釈はやめて、起きていることをよくよく見て、矛盾をあるがままに受けとめることが必要なんだよ、きっと。