フィジカル・インテンシティ
村上龍*のサッカーについてのエッセイ集を読んだ。内容はまぎれもなくサッカーについてのエッセイなのだが、同時に日本文化論になっていて、日本の閉鎖性をあぶりだす、さらにワールドカップ間戦記の合間にイタリアについて書くと、人生とは快楽とは・・・・雑多なエッセイ集なのではなくて、ひとつひとつのエッセイでそういう多くのテーマを同時に多層的に論じてしまうのだ。
日本的な文脈での質問は、結果がすべてという世界で仕事をする人をひどく疲れさせる。中田と現地の日本人記者やカメラマンとの対立は深刻で、象徴的だ。日本人が日本の内部でしか通用しない文脈からどのようにして脱皮するのか。それは世界基準という要求を突き付けられた日本文化の課題であるのだが、ここペルージャの日本人記者やカメラマンはまるで太平洋戦争の日本兵士のようだった。
しかし村上龍は筋金入りのサッカーファンで、そういう人と私はいくつかの感覚を共有できていたのは驚いたしうれしかった。というのは、「バルデラマが好き」「中盤は個性的な人が多い」「サッカーはイマジネーションのスポーツ」というテーマが繰り返し現れるが、3つとも前から私も同じように感じていたことだ。