Judy and Maryと自立した個人
バンドには「終身雇用型」と「プロジェクト型」があると思う。「終身雇用型」というのは、原則的に脱退や解散が無いという前提で運営されているバンドだ。ちょっと古いがチューリップなどはその典型だと思う。チューリップは個々のメンバーの技量が決して高いとは言えなかったが、チームワークと丹念な音作りでいい音を出していた。当時から玄人受けのしないバンドだったが、今聞いても素直な耳で聞けばいい音だと思う。特にデビュー作のヒットしなかった「魔法の黄色い靴」は名曲であり名演であると、私は思っている。
このタイプのバンドは、メンバー同士は家族のような密接な関係になっていて、それがうまく機能している時は、個々のメンバーの可能性をはるかに超えたすばらしい音を出すが、いったんおかしくなると悲惨である。そういう意味でもチューリップは典型であり、ある時期から財津和夫の曲作りにもたれかかったようになり、クリエイティビティがなくなった。それと同時に、人間関係もおかしくなっていたようで、不協和音の噂がずいぶん出たし、ケンカ別れのようなメンバーチェンジを何度かして、とうとう解散してしまった。
一方、「プロジェクト型」というのは、ある特定のCDやツアーのために一度限りで集まるバンドである。こちらの例は、ちょっとマイナー過ぎて知っている人は少ないかもしれないが、「KYLYN」というバンドをあげたい。これは、渡辺カヅミというギタリストが、村上ポンタや坂本龍一などの当時の超一流ミュージシャンを集めたバンドである。ツアー一回、アルバム2枚で解散してしまったが、凄いバンドだった。
このバンドの面白い所は、全員が超一流のスタジオミュージシャンであるが、バックグラウンドが多彩なことで、JAZZの色が濃いカズミのギターと、テクノの坂本のシンセ、オールマイティでなんでもこなすが個性的なポンタのドラム、国籍不明の矢野顕子のボーカル、ロック系でテクニシャンの小原礼のベース、とごちゃまぜでありながら、ちゃんとまとまって音楽になっていた。特に、カズミと坂本の二人はケンカしながらツアーしていたという話を聞いたことがあるが、さもありなんと思わせる独特の緊張感がある。実際、二人はこれ以降2度と共演していない。
しかし、どちらかというとこの「KYLYN」は稀有な例で、たいていはこういうタイプのバンドはスタジオセッションに毛が生えたようなものになってしまう。それぞれが一流だから出来る音もそれなりのものになるのだが、メンバーの力量の合計以上の意外性のある音が出ないことが多いのだ。こういうのは「バンド」という名前に値しないと思う。
こういうことを考えたのは、*Judy and Mary のインタビューをテレビで見てからだ。というのは、このバンドは、「終身雇用型」でもなく「プロジェクト」ない、全く新しいタイプのバンドのように見えたからだ。私はこのバンドのことはよく知らないのだが、純粋に音を聞いて、非常にバランスが取れていると前から思っていた。全員が達者なミュージシャンであり非常にリズム感がいい。ロックバンドというのは意外にリズムがしっかりしてない所が多いのだが、このバンドはバックがトリオでありながらすごくグルーブする分厚い音で、これはリズム感がしっかりしているのだと思う。そして、ドラムは割とオーソドックスなスタイルだが、ギターとベースはかなり癖がある個性的な、主張のある演奏をする。それが、全体としてバランスよくまとまっているのが印象的だった。
彼らのインタビューを見て、このバランスのよさが単にサウンド面だけでなく、バンドとしてのありかた全体に通じることなのだと気がついた。メンバー同士の関係がすごく不思議な見たこともないようなものだったのだ。「プロジェクト型」のバンドのような、いかにも「仕事でお世話になってます」というよそよそしい関係でもないが、「終身雇用型」のバンドのように、全員がひとつの価値観に埋没しているような馴れ合いの雰囲気もない。誰か一人でも欠けたら「Judy andMary」にならないのははっきりしているのに、「Judy and Mary」だけが自分の人生だ、という雰囲気のメンバーもいない。
この不思議な感覚は、メンバーがみんな「自立」している、ということではないだろうか。「自立」していながら、バンドに全力を注いでいる。素敵な曲をたくさん生み出したこのすばらしいバンドを、こんなことの引き合いに出すのはもうしわけないが、これって、仕事と個人の理想的な関係だと思う。特に、今の日本人につきつけられている課題だと思う。そして、YUKIはこのことを次のようないかにも「らしい」言い方で表現していた。
「このバンドはちゃんとやってるから、いつなくなってもおかしくないんだよ」