グラミンフォンが営利事業として成立する理由

ソルトレーク大会第1日で、男子500メートルのジェレミーウォザースプーン(カナダ)が34秒03の驚異的な世界記録を樹立。高速リンクで行われる北米シリーズが続くだけに、一気に33秒台に突入する可能性も出てきた。(中略) 脚の故障もあって29位に沈んだ元世界記録保持者の加藤条治日本電産サンキョー)は「当分近づけそうにない記録」と舌を巻いた。

加藤選手は、2005年の同大会で、34秒30の世界新記録を出して優勝しているのですが、その彼が「当分近づけそうにない」という凄い記録のようです。このレベルになってくると、たった0.27秒の違いが途方もない距離なのでしょう。

30秒ちょっとの中の0.3秒だから、比率にしたら約1%です。世界のトップレベルの競技の最前線は、だいたい、この1%くらいの枠の中で熾烈な競争が行なわれています。

しかし、私が明日からちょっと真面目に100mとか何か陸上でもやるとしたら、当分の間は、1%どころか、10%、20%の単位で記録が向上するでしょう。


グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ]
グラミンフォンという奇跡 「つながり」から始まるグローバル経済の大転換 [DIPシリーズ]

発展途上国で携帯電話」という話を聞いたら、それも、援助や福祉ではなく利益を生み出す事業として運営するという話を聞いたら、誰でもまず疑いの目で見ると思います。でも実は、投資というのは、先進国より途上国の方が有利な面があるのです。

先進国というのは、既にインフラや情報が行き渡っていて、有望な事業分野はほとんどが先行者で埋めつくされています。大量の資金が飛びかっていますが、それらは全て、おおざっぱに言えば既に効率化されている既存の事業に対する追加投資となります。

つまり、既にギリギリまで鍛え上げて、その競技の為に最適化されてほとんど向上の余地がない(あっても0.1%くらいの)加藤選手をコーチするようなものです。

それに対して、途上国への投資は、運動不足(というよりほとんどしてない)ブヨブヨお腹の中年男、ほとんどまともな運動経験の無い私をコーチするようなものです。私をコーチする人は、加藤選手のコーチよりずっと利率を高く設定できます。「1年で1割の記録向上は確実です。15%、いや20%だって無理な数字じゃない」

自分の部屋で、金槌と釘の手動ノコギリを使って家具を作っている職人が電気ノコギリを使うようになったら、彼の生産性は20%や30%どころではなく、とてつもなく拡大する。反対に、いくつもの生産ラインを持ち、電気ノコギリも十分備えた家具工場で、電気ノコギリを一台追加したとしても、生産性の拡大はほとんど気づかない程度だろう(P63)

これは、この本の一つのテーマである「マイクロファイナンス」という考え方の基盤です。「資本が希少な場所では限界生産性が高い」ということです。

バングラディシュには、これを実践し大成功したグラミン銀行という銀行があります。バングラディッシュという貧しい国の、貧困層の、それも女性を中心に、ごくわずかなお金を融資するという事業を行なっています。

私のコーチが直面するのは、私にどのようなトレーニングを行なうかではなくて、いかに私にトレーニングのスケジュールを守らせるか、という問題でしょう。週に1日でも2日でもいいから、欠かさずトレーニングを続ければ、たぶんトレーニングの内容はそれほど考えなくても、私の記録は10%でも20%でも楽に向上していくでしょうが、そういう習慣の無い人間をサボらせないのは難しい。

グラミン銀行のノウハウの核もそれと似ていて、融資をした女性を教育し勇気づけ、自立へ向けて支援する体制が機能しているようです。

借り手は家族を含まない5人のグループを形成することを求められる。周囲からの圧力と支援が、現実的に担保を不要にするのだ。契約はしないが、16箇条の「決意」を守るという合意を交わす。「決意」には子供を学校に行かせる、避妊をする、結婚持参金を授受しないなどの基本的な事項が盛りこまれている。借り手の女性は、たとえば牛を書い、牛乳を搾って近所に売り、借入を返済し、牛を所有する。(P61)

こういうふうに、その国の文化と風習に根差した支援と教育の体制があるので、無担保で高利の少額ローンでも返済率が高く、自立した女性が次の段階でさらなる融資対象となっていくので、優良な事業として成立するそうです。

そして、「牛」を所有した人たちの次のステップとして、「牛」の代わりに「携帯」を使った事業を提供するのが、グラミンフォンです。

カディーアはうれしそうにベンガル語で書かれた明るい赤いサインを何度も指差した。グラミンフォンの店舗であることを示す看板で、そこでは電話を持っていなくてもいろいろな場所に電話がかけられる。私たちはいくつかの店舗に立ち寄り、テレフォン・レディと話をした。彼女たちは携帯電話を置いた机の前に座り、顧客を待っていた。ある電話は、午前11時半までに30回の通話を記録していた。そのうちいくつかはサウジアラビアへのものだった。こうしたことから、村の電話1台が都市の電話の10倍も稼ぐ理由の一端がうかがえる。(P48)

人口の半数が一日1ドル未満で暮らす国ですから、いきなり携帯を所有する人がたくさん出てくるわけではありません。が、こういう「村の電話(ビレッジフォン)」という公衆電話によって、1台の電話をたくさんの人が共有する形で使うことになるのです。そして、この公衆電話は「電話のおばちゃん(テレフォンレディ)」の自営する事業として営まれていて、彼女たちの収入源ともなります。

イクバル・カディーアというこの事業の創業者は、アメリカへ渡り苦学してMBAを取り、ベンチャーキャピタリストとして働いている時に、この事業のアイディアを思いついたそうです。

ある日、コンピュータのネットワークがつながらなくなって困っていたカディーアの胸に、ふとバングラディッシュの田舎にある祖父の家の記憶がよみがえってきた。戦争を逃れてひっそりと暮らした村の記憶だ。電話がなかったので、弟の薬を探すため一日かけて10キロの道を歩いたことがあった。ところが薬局に行ってみると、薬剤師は薬を入手するために村を離れており不在だった。なんというムダだ。カディーアはマンハッタンのオフィスで数時間仕事ができなかっただけで、イライラした。だがバングラディッシュでは(中略)
「私は、<つながること>はすなわち生産性なのだと気付いた。それが最新のオフィスであろうと、発展途上国の村であろうと」(P42)

最貧国の農村部に携帯があったとしても、いったい誰が誰に何を電話で話すのだ?と思うかもしれませんが、情報インフラの無い地域では、このように、とにかく現地へ行ってみないとわからないことがたくさんあります。収穫した農作物を高く売るにも情報が必要です。通話料金は彼らにとって大きな負担となる金額なのでしょうが、それでも割に合う話なのです。

だからグラミンフォンは、利益を出す事業として成立し、同時に、ユーザを援助をするインフラとなるわけです。

実際には、カディーアがこのアイディアを思いついてから事業として立ち上げるまでに、ものすごい紆余曲折があります。でも、最終的に、この最初にひらめいたアイディアのコアにある理由によって、この事業は成功しました。(けど、カディーア本人は事業が回り出した頃から、経営陣からはずされてしまいますが)

この本は、グラミンフォンだけでなく、アフリカでの携帯電話事業にも触れていて、その中にも興味深い一節がありました。

シエラレオネのような紛争地域でも、セルテルは成功してきた。反乱軍も政府支援者もコミュニケーションを必要としているので、売上が増えるのだ。(中略)基地局は公共の利益とみなされているので、破壊活動はほとんど見られなかった。(P201)

インフラの未整備どころか、政情が安定してなくてドンパチやってるような地域であっても、携帯だけは事業として成立するのです。いかに情報というものが、普遍的に必要とされているものなのか、ということがわかります。

この本は、カディーアの半生記であると同時に、グラミンフォンの事業の骨子も説明し、さらには、その背景となる「マイクロファイナンス」という考え方や途上国の携帯のサーベイまで含んでいて、おまけにカディーアの次の事業(彼は経営は追われたものの創業者利益はなんとか確保できて、そのお金で次の事業を計画中)の話まで書かれています。

内容は盛り沢山で整理されているとは言えない気もしますが、全体として見てみると、「商売とは何か」の基本のようなこと、つまり、人を助け喜ばせることでお金というものは回り、それさえあれば、いかなる困難もお金は突破していく、ということがわかってきます。

その根幹は、全く違う環境にいる我々にも無関係とは言えないと思います。

その観点から見ると、グラミン銀行総裁のムハマド・ユヌスの次の言葉には考えさせられます。

経済学者の中には、雇用を創造することが貧困問題の解決策だと言う人がいる。しかし、雇用は正しく創造されなければ、貧困を永続させるだけだ。人間としての基本的なニーズを満たす金額以上に稼げないのであれば、雇用は人々を永久に貧困の中に閉じ込めてしまうだろう。したがって、雇用されるよりも資金を借りて自営することの方が、その人の財政を改善する上で、ずっと大きな可能性を持っている。(P58)