山崎潤一郎氏はJASRACの回し者なのか?

ほとんど2ちゃんねるのコピペだけの、AppleがJASRACに払った2億5千万の行方は?というエントリが思いがけず大ヒットして、あちこちにリンクされ、正直言ってとまどっています。

もともとこれは、引用したスレで面白いレスをいくつも見かけたので、自分用のメモを兼ねて記録しておこうというだけのつもりで書いたエントリで、あまり中身があるものではないし、こんなに評判になるとは思いもしませんでした。いかにJASRACが嫌われているか再認識しました。

私にとって音楽は欠かせない生活の一部です。なのですが、著作権問題についてはあまり知識がないので、これ以上は深入りしたくはない所なのですが、このブクマコメントを見て非常に気になってしまいました。

Jの手先の目くらましエントリ。コードのチェックといっても少なくとも支払い先の8割は超メジャーなんだから時間かからず処理可能。丸々不払いの言い訳にはならない。どっちに転んでもJを肥やす仕組みが垣間見える。

「コードのチェックといっても少なくとも支払い先の8割は超メジャーなんだから時間かからず処理可能。丸々不払いの言い訳にはならない」という部分には全く同感ですが、この人は「Jの手先」なのかなあ?

私は、問題のこれが真実! iPod vs. JASRAC 著作権料2.5億円不払い騒動というエントリで山崎さんのブログを初めて見たのですが、そうは思えませんでした。

つまり、来るべき配信時代にあって、未だにパッケージ時代、マスメディア型、パレートの法則型の管理スキームでいることが問題なのです。完全に制度疲労を起こしているわけです。

「世界から浮いた日本の著作権管理スキームの問題点」で前述したように、米国のようにネット配信においても、原盤供給者が自己責任でもって権利処理を行うシステムを構築しないと、このままではいろいろなことが悪い方向に転がり、結局はこれまで通りの方法論で行こう、ということになってしまいます。

いうなれば、「個」を信用しない日本の著作権管理スキームの問題点が路程した今回の騒動だったといえるでしょう。

このエントリで山崎さんがおっしゃっていることは、次のようなことだと思います。(用語は不正確かも)

  • 一つの楽曲にも作詞作曲者等複数の権利者がいて、使用料を分配する事務処理はどこでも必要である
  • 海外では原盤の権利者(レコード会社?)が個別にそれを負担している
  • 日本ではJASRACが一括して行なっている
  • この違いの背景に、「お上」を信じて集中処理をするか「個」を信じて分散処理するかという国民性の違いがある
  • 多数の楽曲が少い件数で販売される傾向の強い(ロングテール的な)配信の時代には一括処理は非現実的
  • しかし、時代遅れの日本独自のシステムがここまで放置されてきた
  • その不一致の負担が、JASRACの事務処理への負荷となることは充分有り得る

私なりに要約すれば、JASRACは自業自得で今苦労しているのだろうという話ではないかと。

そして、この事務処理、つまり、ISRC→作詞作曲者等への展開は機械的に可能だから、そこが渋滞することがおかしいという意見もたくさんありますが、こういうのは理論的にはいかないことがよくあります。

まあ、こっちの方がありそうな話ではある。というかコードのすりあわせ作業やったことがある人なら「コードがあるから一発」って言説は信用しないだろ。

なんでITMSの販売情報がずさんになってるんだかわけがわからないけど、管理楽曲か否かを判断することができない状態になっているというのならわかる。コードが一意なんて幻想です。JANPOS相手にした人ならわかるよね。

10年以上前のことですが、証券関係のシステムを開発している人にこんな話を聞いたことがあります。

「日本メーカが請け負っている領域に外資系のベンダーが今さかんに入りこもうとしている。外資系は出来合いのパッケージソフトを中心に提案してくるので価格競争力はあるが、日本のユーザは細かい所を業務に合わせて微調整する国内ベンダーを好むので安泰。海外のユーザは総コスト重視で業務のやり方を変えてパッケージですませるようだけど、日本のユーザは、あくまで現行業務をそのまま続けようとする」

それで、そういう現行業務に執着するユーザでは、設計時には「コードがあるから一発」だったはずが、やってみたらそうでなくったりします。まさに「コードが一意なんて幻想です」の世界です。

山崎さんが語る著作権管理スキームの話も、ほぼこれと同じパターンなので、末端の技術者に皺寄せがきて、今、四苦八苦しているという話はありそうだなあと、私は思います。

ただ、iTMSの日本進出は何年も前から見えていたことなので、それに何の対策も打たずに放置していたとしたら、経営レベルの責任は重大です。それと、id:xevraさんが言っているのは「エラーとなる例外的なデータがあったとしても、大半は現行システムの延長線上で処理できる、そうすべきである」ということで、確かにそうすれば、金額的には大半の処理はすぐできる可能性が高いと思います。しかし、これは一般企業で言えばCTOクラスの英断を要することですね。それができる人がいるかどうか。

まとめると、アップルが支払った使用料がJASRACから出てこないことには、二つの可能性があるわけです。

  1. JASRAC経営陣が流用し不正利用しているから
  2. JASRAC経営陣が無能で怠慢で先が見えず無責任でちゃんと仕事をしてないから(行政も含めて)

JASRAC側の説明は結果として2の立場に立つものだと思います。山崎さんのエントリはその説明を補強するもので、1の説主体の2ちゃんねらとは対立するものではありますが、それだけでは、やはり「Jの手先」とは言えないと思います。

あと、念の為、山崎さんのブログのアーカイブから、これに関連する話題を見てみました。そうしたら、びっくりするくらい私の主張と通じる所がありました。

米国の権利者の中には、YouTubeの違法投稿をプロモーションや広告媒体として利用しようという動きもあります。もちろん、その一方で、彼らを訴えたり、対抗サイトを立ち上げるといった、さまざまな動きや考え方があるのも事実ですが、日本の権利者のように、ひたすら頑なな姿勢ばかりが目立っているわけではありません。

キーワードは「リスペクト」だと思います。権利者の意志を尊重し、何らかの形で権利者に対し利益が還元されるYouTube動画の利用であれば、それは、限りなく「引用」に近い存在だと思うのです。まあ、「リスペクト」というのは情緒的でその線引きが難しいのかもしれませんが、でも、逆に考えると、権利者がYouTubeに違法投稿を発見しても、「リスペクト」と解釈して、アクションを起こさなければ、そのまま掲載されるわけですから、それはそれで良いとも言えます。

私が倫理的に可とするのは、作る側も見る側も「作品」という意識が強い時のみだ。作る側が「作品」「表現」として制作していて、見る側がリスペクトを持って見ている場合。その場合は、「作品性」と「商品性」の相克は、「作品性」を優先して解決すべきである。つまり、その作品の「商品性」にぶらさがっている人たちは、作る側見る側の素直な気持ちがそのままお金となって回るような工夫をすべきだと思う。

ただ、いきなり、新しい著作権のルールを作るなどというのは難しい事かもしれません。であるならば、日本の権利者もいたずらに、YouTubeと対峙しているばかりではなく、そのだ一歩として、YouTubeとのコラボレーションで違法投稿動画から何らかの収入を得るような仕組みを考えるなどすべきではないでしょうか。

これの真偽はともかく、YouTube(グーグル)は製作者にお金が回る仕組みを作らなくてはならないし、実際に作ろうとしているでしょう。それができた時に、孫請け制作会社はキー局経由でYouTubeにアップしてキー局に中抜きされた制作費を受けとるのか、直接アップするのかどちらを選ぶでしょうか?

たとえば、IT全盛の時代だからこそ、徴収から分配まで透明性の高いシステムが作れるはずです。JASRACは、「現在構築中」といいますが、外部から見ていてものんびりしている印象はぬぐえません。

ドンブリ勘定だからこそうまく廻っていた部分も沢山あり、使用と分配が透明化されると困る人たちも出てくるので、業界の意思を尊重してソフトランディングを目指しているのか、といった勘ぐりたくなります。

これからは、企業や政治家、メディアに限らず、一定の社会的な責任を負って活動する人は、金銭の出入り以外にも多くの社会的活動を公開することを求められるのではないだろうか。

こんな人が「Jの回し者」だったら素晴しいと思いますが、そうではないでしょうね。

あと、ここも全く同感です。

ネットが発達したとはいえ、「流通」や「マスメディア」を押さえている「ビジネス」に係わる人々の力は未だに強力です。こういう言い方をすると「青臭い書生論」「理想論」とたしなめられることも多いのですが、我々リスナーとしてできることは、ネットという武器を使って冷静な意見を発信し続けることだと思います。

ブログには肩書の代わりにアーカイブがあります。「冷静な意見を発信」し続け、そして蓄積されたアーカイブを信頼していくことによって、ネットのパワーが活用されるのだと思います。

それから、これは全く関係ないけど、このエントリが面白かった→伊豆の高級旅館の離れであった恐怖体験-家を建てよう