「適切な質問」を探す新人たち

「ウェブ社会『大変化』への正しい対応・間違った対応」梅田望夫さん講演ログは、当然、内容盛り沢山で、これにコメントしているだけで三年はブログが書けそうだけど、その中からひとつだけ。


日本の人は、欠点をなくしてからその上に表現しないきゃいけないと思ってる

新人に講義して「何か質問ありませんか」と言うと誰も質問しないので、ムカついて、誰かれかまわず刺す、じゃなくて指す。

指して「何でもいいからひとつ質問しなさい」と言ってみる。

どうせ全部わかるわけがない話をしてるし、それほどいい説明じゃないことは自分でもようくわかってて、これで全部理解できたら、おまえがこっちに立ってて、俺は座って聞いてんだよバカヤロー、と言いはしないが、思ってしまい睨みつけてしまう。

いきなり指されて立たされて、講師に睨まれたら誰でもビビる。それはわかるけど、恐いなら早く質問すれと思うけど、たいてい黙ってしまい硬直してしまう。そしてオドオドしてキョロキョロする。

それで翌年は、事前にこうなることを予想して、あらかじめイメトレしておき、必死で柔和な笑顔を作って、「聞くことは情報提供でもあるのですよ。講師は自分の話のどこが伝わらなかったか知りたいものです。みなさんの仕事では、わからないことが沢山出て来ます。質問することも大切なスキルですから、この場では質問する練習をしましょう。では、一人づつ一点以上質問してみてください」とかやさしく言って、端から順番に刺す、じゃなくて指す。

それでもやはり刺されそうな人間のように絶対絶命の顔をしている。オドオドしてキョロキョロする。

それでやっと気がついたのだけど、彼らは「適切な質問」を必死で探していたのだ。

「適切な質問」というものがあると、彼らは学校教育で叩きこまれているようだ。「適切な質問」をしないと講師への失礼になるか、自分の評価が下がると思っているみたいだ。

立たされて「質問しなさい」と言われると、自分の中にあった疑問などはあとかたもなくふっとんでしまい、「適切な質問」のヒントを求めて、必死で講義の内容をふりかえる。そういうことだったんだなあ。

でも、最近は、普通に自分のわからないことを聞ける人も増えているような気がするけど。