安倍ちゃん:朝日新聞:2ちゃんねる = サリマン:荒地の魔女:ハウル
「ハウルの動く城」を老人問題に関する分析と提言として見るっていうのが好評だったので、図に乗って第二弾をやります。
この物語の開始時点では、サリマン、荒地の魔女、ハウルという三つの力が鼎立してそれなりのバランスを保っています。この話は、そのバランスが一度大きく崩れて、混乱を経て別の安定構造に移行する話であると読めます。その三つの力とその変動プロセスは、宮崎さんの脳内にあるものですが、当然、環境からの影響を受けてそれが起こっている部分もあるわけで、そこを強調すれば、宮崎さんをアンテナとした一種の予言として読み取ることもできます。
私は次のようにして予言として読み取りました。
- サリマン = 国家権力(体制)、リアリズム = 小泉政権(の安倍的なリアリズム)
- 荒地の魔女 = イデオロギー的反体制 = 朝日新聞(的イデオロギー)
- ハウル = 創発的権力 = 2ちゃんねる、ブログ
イデオロギーというのは、永遠へのあこがれと怨念の複合体ですから、荒地の魔女です。ハウルはそのどちらからも自由で、そのことはたくさんある空を飛ぶ場面に暗示されています。また、ハウルの魔力の中には、城の入口がつまみによって別の遠隔地に接続されるというものがあり、これは、宮崎作品の中では類の無い「身体感覚を伴なわない移動」です。つまり、ハウルはバーチャル空間の使い手であり、2ちゃんねるやブログのような創発的に生まれる権力です。
物語の序盤では、イデオロギーと創発的権力の対立関係が強調されています。荒地の魔女(イデオロギー)はハウル(ネット)の持つ力を取りこみたいのですが、なかなそれがうまくいかない。冒頭で、ソフィーが荒地の魔女の手に落ちる直前にハウルに救われる場面がありますが、ネットがなかった時には、イデオロギーに取りこまれて、その世界観から脱出できなくなった人がたくさんいたわけです。
そして、そこで危機一髪助けられて、ネットや2ちゃんねるで朝日新聞の正体を知らされた人は、ハウルの勢力につきます。
表面的にはイデオロギーとネットの二者が対立関係にあって、イデオロギーを倒すものはネットだろうと予想されるのですが、実際には、そこで背後からサリマンがからんで来るわけです。
宮崎さんは、イデオロギー的権力の衰退とあせりを見て、早晩、これが(ネットでなく)国家権力によって無力化されることを予想していました。まさに、今回、その予測通りの事件が起きたのだと思います。荒地の魔女には怨念があって、そこを掬われてしまうと非常に弱いのです。実際、朝日新聞は怨念としてのイデオロギーのために硬直化していて、そこをつかれたために危機に陥いったのです。そして、ハウルにはそういう弱みはありません。
それで、ここでネット(ハウル)がイデオロギーの残骸(無力化された荒地の魔女)をかかえこむことが予言されています。荒地の魔女は戦力にはならず、どちらかと言えばお荷物に近い、それどころか、肝心の所で、荒地の魔女によってハウルに危機が訪れます。それがわかっていても、ネットがイデオロギーの残骸を吸収しなくてはいけないようです。
イデオロギーが消えさって、ネット(創発的権力)が直接国家と対峙する時に、イデオロギーの残骸がネットを危機に引きずりこむことが、近い将来、あるのでしょう。
そして、ネットと国家という二つの権力は、その魔力の強さでは拮抗しています。この時に、もうひとつの危機が、内側から訪れます。つまり、それはハウルが内在している獣性です。ネットは潜在的に獣的な部分を持っており、これが不用意に開放されると危険です。しかし、これはハウルの軽やかさと不可分の関係にあって、ネット(ハウル)が軽やかである限り、その内部の獣性をどのようにコントロールしていくかが、不可避の難題となるわけです。
この時のキーポイントが、カルシファーの心臓なのですが、カルシファーはおそらく近代的理性やテクノロジーの象徴です。ネットはその基盤にテクノロジーがあって、ネットによって近代的理性が延命されています。ハウルがカルシファーを救い、ハウルとカルシファーは一体となっているわけです。
創発的秩序と近代的理性とイデオロギー(含永遠へのあこがれ=宗教的帰依)という三つの力がよじれ、そのよじれを解消し、三つをきれいに分離できるかどうかが、この問題の解決の糸口となるのでしょう。
つまり、宮崎予言によれば、これは一連の危機的プロセスの入口ということになります。
- サヨク(イデオロギー)が安倍ちゃん(リアリズム)の力によって無力化される
- サヨクは無力化し、ネットの創発的秩序の一部となる(2ちゃんねるにサヨク向けの板ができる)
- 安倍政権がネットの力を本気モードで欲しがる(安倍政権はうまくネットを利用する)
- ネットは安倍政権には負けない(2ちゃんねるの批判精神は失なわれない)が、内部の獣性が開放されるという別の危機(これはなんだかわからない)が発生する
- それが解決されかかる時に、イデオロギーの残骸が最後の問題となる(2ちゃんねらとなったサヨクが何か問題を起こす)
- 創発的秩序と近代的理性とイデオロギーがある一点を中心によじれる(ここでいろいろな問題がからみあってひとつの課題に収束していく)
- なんだかよくわからないけど、説得力だけはあるハッピーエンドによって全員が救われる
私は、正直言って、後半の流れが読みきれてないので、このように書いていても、実際に何が起こるのかはわからないのですが、宮崎さんが、何かの潜在的なエネルギーを感じとっていたことは確かなように思えます。