Rubyの「騒動」をウィルバーで読み解く

なんか全然知らないうちに、Rubyが崩壊の危機に面しているというような報道が一部であって(ウソ)、あちこち見ても何が起きたのかよくわかりませんでしたが、

[ruby-list:40298]


10年を越えるプロジェクトは慣性が大きいのです。

よくわからなかった問題が、この一言で見えてきました。

今作られようとしている ruby-1.8.2.tar.gz というのは客観的な実体であって、その為に必要な作業工程や目標は、[ruby-list:40231]で分析されているように、ブレークダウンできるはずです。このように項目を分割していって、それぞれについてまつもとさんの負荷を洗い出して、優先順位をつけて担当者を割りふっていけば、「正しい」リリースの手順が得られるはずです。

それが、MoonWolfさんの立場で、ウイルバーの枠組みで言うと、個人-外面の象限、つまり「客観性」です。要素を分解して分析していけば、「正しい」組み立て方を知ることができるという考え方だと思います。

それで、まつもとさんはこの象限の中での議論としては、基本的にMoonWolfさんに異論はないわけです。ただ、それだけでは部分的だということを「慣性」という言葉で表現しているのだと思います。

ruby-1.8.2.tar.gz は客観的な実体ですが、それを取りまくプロジェクト全体には、たくさんの人が様々な立場で関わりあっていて、その関わりは、その個人個人の作業を分解していくだけでは把握できないものがあるということです。ウィルバーの言葉で言えば、「プロジェクトは間客観的な実体として存在している」ということになると思います。

だから、まつもとさんとMoonWolfさんが対立していると見るのは間違いです。まともとさんは、客観的リアリティと同時に、もうひとつ別のリアリティ、「間客観的リアリティ」を見ているということです。

「間客観的リアリティ」を認めない、つまり、工程を分解して、それぞれを与えられた条件のもとで個別に最適化して、それを組み上げれば最適のリリース手順ができるというのも、ひとつの立場です。もし、MoonWolfさんが、黙ってforkしたら、つまり、感情的な発言抜きで自分が最適と考える手順をたんたんと実行したらそれは客観性重視の立場を貫徹したと言えます。

しかし、そうはできなかった、つまり[ruby-list:40265]のような発言をしてしまったのは、客体としてのリアリティだけに我々が住んでいるわけではないということを示しているように思えます。ここでMoonWolfさんは、「公正さ」つまり、間主観的リアリティのレベルで発言しているようと私は感じます。つまり、自分がこのようなフラストレーションを感じるのは公正ではない、という不満を表明しているのではないでしょうか。

しかし、「公正さ」というのは、客観性とは別の基準、別のリアリティであって、それを確立するには、別の方法論が必要です。その象限における正しさは、感情的な「納得」がベースであって、客観的に要素を分析していくことでは得られません。

また、「慣性が存在する」ということは「慣性が正しい」ということとは違います。

これは、よくルーマンが誤解されるポイントのようですが、MoonWolfさんとまつもとさんの行き違いも(もし行き違いがあるとしたら)、そこに関連しているように思います。

「正しさ」「公正さ」というのは、間主観的リアリティで、「今ある社会がこのように動いているのは、慣性があるからだ」と言うことは、それが正しいとか変化する必要がないというのとは別の話です。「こうあるべきだ」で社会をその通り動かそうとしてもそうはいかない、えてして、よりひどい方に動いてしまうというのは、間客観的リアリティについての表明で、ルーマンはむしろ頑固にそこから一歩も出ようとしていません。保守主義者という言葉は、普通、現状の社会に「公正さ」があると主張する人のことですから、「公正さ」というレベルで一切発言しようとしないルーマンをそのように批判するのは、筋違いというか独り相撲です。

それと同様、まつもとさんが「慣性」の存在を視野に入れていることは、「公正さ」のレベルとして、それを全面的に肯定していることではないと思います。むしろ、「客観性」と同様、「公正さ」のレベルでも、MoonWolfさんの問題提起をきちんと受けとめているような気がします。

つまり、これを「騒動」と見るのは、私のような野次馬だけで、そこにはいくつかの「問題」があるだけで、(期待と違って?)全然、危機的な状況ではないのです。「問題」に対処する人はいろいろ考えたり動いたりする必要があるでしょうが、「問題」を把握すべき文脈を間違えなければ、野次馬が見て楽しめるようなものは、そこには何もありません。

リアリティ、正しさ、というものは、まつもとさんのように複眼的に見るべきで、あまりに性急にひとつの立場だけをつきつめるのはよくありません。というか、ルーマンのように特定のスタンスを貫徹できるのは超人であって、普通の人間は、ある立場にこだわると知らないうちに別の立場に立ってしまうのだと思います。それなら、最初から、複眼的な見方をしていた方がロスが少ない。