私のなかのムスカ大佐

増殖を想像する力MOZAIC: イマジネーションリテラシーにインスパイアされて書きました。この記事で述べられている「イマジネーションリテラシー」という言葉は、私の書いた「増殖を想像する力」と通じるものがあると思います。表面的には違うことをテーマにしているけど深層がつながっている感じがします。

そして「引用元失念」として中程に引用されている言葉にも感銘を受けました。読みながら「すごくいい言葉なんだけど、どこかで聞いたことあるな、自分もこれ読んだ気がする」と途中まで本気で思っていて、それからやっと思い出したのですが、これは私が書いた「藪の中」を生きる技術でした(コレ本当)。

しかし、たとえ一瞬でもわずか数ヶ月前に書いた言葉を忘れされるほど、この引用は見事だと思います。前後のつながりと切取り方が絶妙だと思います。

こういう風にていねいに自分の書いたものを読んでもらえるのはうれしいことです。私がブログを書く動機のかなりの部分はこれです。

しかし、それが全てではない。もっと悪い気持ちもわずかですが混じっています。そしてアクセス数が増える程、その気持ちも少しづつ強くなる。もし、それを今の状態のままで表現したら、非常に微妙な文学的な表現になるので、おそらく誰もわからないと思います。

そこで、それを拡大して誇張して表現してみます。もし、ページビューが今の100倍くらいになったら、私がこうなってしまう可能性が(ちょっとだけど)ある、という話です。

おそらく、アクセスがずっと増えたら、私はかなり増長する。どれくらい増長するかと言うと、ラピュタのパワーを自分の手にしたムスカ大佐くらい増長する。

 言葉をつつしみたまえ。君はessa様のブログを見ているのだぞ
君のアホなツッコミには、心底うんざりさせられる
あっはっは、見ろゴミのようなリファーだ!はっはっはっは・・・

こんなこと言いかねない私も自分の中にいるのです。もちろん、いざという時の為に「滅びの言葉」をちゃんと用意してますから、とりあえずは安心してください。

しかし、ムスカ大佐を飼っているといいこともあって、これを観察することによってわかってくることがあります。そもそも、なぜムスカがそれだけ自分が偉くなったような気がするかと言うと、これは書いている文章の中身には関係ない話です。自分が何をどう書いていて、それを誰がどう読んでいるかは、ムスカにはどうでもいいんです。

ムスカが気にしているというか、よりどころとしているのはアクセス数です。ひたすらアクセス数です。ムスカはとにかくアクセスが多くなれば自分がその分だけ偉くなったと思うのです。

どうしてそういう馬鹿な勘違いをするのかと言うと、それは、ムスカはデジタルデータに自分を同一化しているからです。そうすると、アクセスされる、つまり自分が配信されるたびに、自分が拡大して世界のあちこちに遍在しているような錯覚を持つんです。

それで、私はワームを作る人の真の動機を理解しました。ワームを書く人の中にもムスカがいて、彼はワームに同一化している。そして、ワームが世界中に飛びたつことで、自分の大きさがネット全体の大きさになったような快感を得るわけです。そうなんです。デジタルデータに同一化することは快感です。

デジタルデータは不変であり、いくらでもコピーできます。永遠の命を持つ存在であって、宇宙にあまねく遍在しているもののようです。それが自分であるかのように想像することは、限りある命を持つ非力な自分であることを忘れさせてくれるんです。ブログを書いてアクセスが増えるのを見ていると、自分がそういう快感を感じていることは否定できません。

人間には、なぜか不変で遍在する存在を想像する能力が与えられていて、それに憧れるように宿命づけられている。その欲望がネットを産んだのです。でも、その力はもともとは神のことを考える為に与えられたものだと思います。神に近づく為にそれを使うことは正しいことですが、神に近づく為にそれを使うことは間違いです。これは誤記ではなくて、デジタルデータには両者の違いは表現できない。微妙な違いですが、そこに非常に大事なものと非常に危険なものが隣接しています。

ネットというのは一面で非常に現実的で実用的なものです。実用的なデータのセキュリティは、技術的、社会的なアプローチで解決できます。それは、現在の所望ましい状態とはほど遠いですが、正解はあるし手の届く所にあります。

しかし、ネットにはもうひとつの面があって、不変で遍在するものへの欲望を投影する為の存在でもある。

危険を冒して個人情報をWinnyに流す人は、その個人情報に自分を同一化している。個人情報や動画が自分だと思っているんです。万が一自分のパソコンが故障しても、世界のどこかで自分の分身が1ビットも変化することなく生き残っている様を夢想して、それに快感を感じて「神になる」んです。

神になりたいという欲望は間違ってはいないと思います。しかし、方向が若干ずれている。「不変で永遠な自分」というものを、自分の外ではなく自分の中に見つけなくてはいけない。方向はずれているけど、人間の根源的な欲望です。ですから、これを押さえこむことはできません。

 ラピュタは滅びぬ、何度でもよみがえるさ、
ラピュタの力こそ人類の夢だからだ!!

この欲望に別の回路を見つけてやるか、これを実用的なデータから分離するかしか、セキュリティを守る方法はないと思います。後者の方が現実的なんですが、問題は後者の方法では儲からないことです。

(ムスカ全セリフ集ラピュタ・スクリプトを参考にさせていただきました)

(2006/12/19 文中のリンク先を修正)