2:4:2の秩序

人間の体には、髪とか爪とか脳みそとかいろいろ変な細胞があるが、もとはと言えば、全部ひとつの受精卵から分裂していったものである。同じ遺伝子を持つ細胞が、自分の場所に応じてそれなりの形になる。回りを見回して、「だいたい俺はこのへんだからこんなもんかな」と言って、自分の表現型を決めるわけだ。

しかも、この関係は重層的である。ある細胞が足に対して手になり、手の中で親指に対して人さし指になり、人さし指の中で先頭が爪になる。そのプロセスは個体内に閉じていると誰が言った個体をはみだしたっていいじゃないかなどと言い出すと確かにトンデモの香りがするが、俺はそういうことにこだわらないので、かまわず突っ走る。

個体間で、つまり集団の中でそれぞれの個体が互いの相対的な位置関係を意識して、上になったり下になったりする。トップになる奴がいなければ、トップになってそれらしくふるまいだすし、下働きが不足すれば、その位置に合わせて自分を調整する。

そういう本能が人間に備わっているとしたら、2:4:2の法則のような法則が(分配比率はともかくとして)存在してもおかしくないと思う。というか、なんとなくそういう風に散らばって存在する方が、誰にとっても気楽でいごこちがいいような気がする。

日本の住みにくさの大部分は、絶対平等主義でこの2:4:2の秩序を否定する所から来ているのではないか。上の2を叩いて下の2を無理に底上げして、徒競走では仲良くお手手つないでゴールインするくせに、学校を出ると結局、官僚になったりリーマンになったりホームレスになったりする。選別の過程が自然じゃなくて無理があるので、誰にとっても後味が悪い。ルサンチマンの大量生産。