乙武氏は「揉み受け人」

乙武氏は今や社会的には強者である。タレントとしてライターとして地位を確立している。強者が意図せずして何かを見失ってしまうことに彼は敏感だ。


若くして世に出てしまった僕に強く物が言える人がいないのは、僕にとって大きな不幸だと思っている。

これを「偉いなあ」と言ってしまうと(もちろん偉いと思うけど)、話はそこで終わる。これは知性だと思う。誰でも弱者である自分には敏感だが、強者である自分にはなかなか意識がいかない。そこで、認識がトータルにならないことに気づくのは知性だ。

揉まれることでこころをほぐすには、ヨロイを取らなくてはいけない。自分が弱者であると言うことはヨロイになる。揉まれているのは一人の「弱者」であって、「自分」でなくなるから。

揉まれることを自ら引き受けるのは難しい。それができる人を「揉み受け人」と呼ぶとしたら、乙武氏は間違いなくその一人であるだろう。そして、弱者を助けるのはキレイ事ではなく、まして言葉の言いかえでなく、そういう「揉み受け人」の知性だと思う。