「知る」ということはそれまでの自分が死ぬこと


私が育ってきたときの「知」というのは、そうではなかった。私たちの世代にとって「知識」とは、論語に「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と書いてあることに表されるように、自分が変わるということは、それまでの自分が死ぬということなのです。
そのことの繰り返しなのです。「知る」ということはそれくらいガラッと自分が変わることなのです。もっと具体的な説明をすれば、「癌の告知」というものがそれに近い面を持っています。

From 養老リンク via Ken Loo's World-JP: 養老孟司と脳化社会