Wikiと署名
いやあ、この一連の文章、どれも面白かった。なんで面白いかと言うと、自分が誰に肩入れするか自分自身で予想がつかないからだ。
白熱した議論でも、読んでいくうちにだんだん自分の立場が明確になるものが多い。簡単に片方の立場に同一化できるディベートは、面白いというよりタメになる。自分があいまいに考えてたことを、きちっと理論武装できるから。
しかし、この議論では最後まで自分がどちらに立つか予想つかなかった。読み終えてしばらく考えてみたが、今だに署名をどうすべきか自分の結論が出ていない。こういう議論は面白くてタメになる。
それで俺が思ったことは「Wikiってメタファが無いものなんだな」と言うこと。
それを言えば、ネットにあるものは何でもリアルにあるものと違うと言われるかもしれない。確かにメールは郵便と全く違うしBBSは掲示板と違う。WEB日記と言っても日記とも交換日記とも全く別のものだ。どれもやってない人に説明するのは難しい。だが、やった人はそれが何であるかだいたい理解する。直接的に「これと似てる」とは言えなくても、過去の経験の中に何かつながるものを見つけているのだと思う。
メールと郵便の間の距離やBBSの掲示板の間の距離はかなり遠いものだが、Wikiにはそのような不十分な比喩さえもない。Wikiはこの世のいかなるものとも似てない。だから、書いても書いてもこれが何であるか理解できないし、どう使ったらいいのかコンセンサスがとれない。使い方はわかるけど正体がつかめないメタレベルの謎を持った存在なのだ。
そういう意味で、たださんの言う「知に対する冒険」という主張には激しく同意。Wikiは難しいことはほとんどないし気軽に使えば気軽に使うこともできるのだが、これについて本気で考え出すと「そもそも自分は実体として存在しているのか?」というレベルまで深入りしてしまう危険性を秘めている。参加する人はその謎の深さを前にしてバンジージャンプのようなスリルを感じているのではないだろうか?