ガマンとズル

「ガマンできてズルできるようになったら一人前のオトナ」と暗黙に言われていたような気がする。

ガマンとは、単に我慢することではなく「私は我慢してます」というメッセージを表現することである。新人歓迎会の一気飲みで、最も先輩が盛り上がれるような飲み方が理想的なガマンである。平気な顔して飲んでもいけないし、泡を吹いてぶったおれてもいけない。苦しそうに必死で飲みほすのが一番ウケる。つまり「私は我慢してます」というメッセージを上手に伝えることが重要なのだ。

自分がどれだけ耐えているかということでなく、そのことがどれだけ人に伝わるかが重要なのだから、ガマンは社会的な行為でありコミュニケーションの手段である。日本社会の一員たるオトナになるためには、このアビリティを習得しなくてはならない。何事も表現するというのは難しいことで、それなりの訓練を必要とする。新人歓迎会の一気飲みは、このアビリティの基礎訓練であると考えれば、必ずしも非合理的な風習ではない。

ズルとは、建前のルールと本音のルールが乖離している時に、建前のルールを破って、なおかつ本音のルールに添って動くことだ。制限速度ピッタリで車を走らせていると、後続車のドライバーは「まったくもう、ガキじゃねえんだから」と言う。ズルというアビリティを習得してない人間は、オトナの社会に入るべきでないと非難しているのである。

「ガマンできてズルできるようになったら一人前のオトナ」というこの倫理観によって乱暴な世代論をやると、1960年以前に生まれた人はこれをトータルに受けいれている。1980年以降に生まれた人は明確に拒否している。その間の世代は、この倫理観の扱いに苦慮していて非常に不安定であるような気がする。それでオウムに引っかかったりしたのだ。