「世の中そんなに甘くない」教

昨日、「なんでリアルでできないのだ?」と書いたが、これを不思議がってくれる人もいたけど、「当然だろ」と思った人もいると思う。

「リアル・ワールド」をそのように定義している人が多い。つまり、世間というのは、人の愛や創造性を抑圧するようにできているという信念を持っている人だ。彼らにとって仕事にはガマンが不可欠なものであって、ガマンしないで金を稼ぐ奴はズルをしているということになる。「でも、自分のしたいことをのびのびやって、しかもたくさんの人を喜ばせてしっかり金を稼いでいる人もいますよ」と言うと、「そういう人は特別」と「リアル」の外に出してしまう。

実際に、厚生労働省2ちゃんねるの上を行ったためしがないが、厚労省の役人が2ちゃんねらより頭が悪いとは、俺も思わない。仮にそうだとしても、役人だってアクセス制限されているわけではないので、ニュー速プラスを見てちょっと情報を吟味すれば、情報量では絶対に勝てる勝負だ。もちろん、役人は公開されてない情報ソースも持ってるわけだし、悔やしいけれども情報の分析能力でこいつらに勝てる奴はそんなに多くない。

厚労省の役人が能力を発揮できないように、相当念入りに足を引っぱるしくみがあって、そのハンデのために負けているのだ。

彼らの足を引っぱる仕組みのことを「リアル」と言い、これと違う力学の世界は「リアル」でないというなら、これは定義の問題である。「リアル」という言葉をそう定義されたら「世の中そんなに甘くない」というのはトートロジーであるだけに、絶対普遍的な真実である。

それで「リアル」の定義を変えてほしいとお願いすると、たいてい嫌な顔をする。俺は自分の父親にこれを頼んだらかなりきつくののしられた。俺もきつかったが、むこうもきつかったらしい。おかげで、宗教的信条のようにこの定義、この世界観に執着している人が多いことを学習できた。

トートロジーに感情的に執着しているのだから、これは宗教と呼んだ方がいいと思う。その「リアル」な世界で、ズルしている奴がガマンしている奴から搾取するのが世の中と言うものだ、という神話まで用意されている。日本という国は、この「世の中そんなに甘くない」教によって政教一致で運営されているのだ。