伽藍とバザール再び

XML 1.1を巡る「ボヘミアン」と「貴族」の階級闘争文化とリンクというふたつの文章を読んだ。前者はXMLのリストラ、後者はTracBackの話だ。どちらも、錯綜する複雑な問題を二つの思想あるいは文化に集約して整理している。

なんとなく、このふたつの文章で提示されている対立軸に既視感を感じたんだが、よく考えるとどちらも伽藍とバザールと同じことを言ってるんじゃないだろうか。静的で中央集権的な世界観と動的でネットワーク的な世界観の対立だ。

俺なんかは会社でもうちでも自分の部屋が非常に「動的でネットワーク的」である。すはわち、机も本棚も雑然としていて何事もきちんとしてない。俺の嫁さんと上司はこれを見て俺に「静的で中央集権的」であることを強要してくる。つまり、ものごとをあるべき所にきちんと収納して片付けろと言ってくるのだ。

リアルの世界で毎日毎日、この勝ち目の無い戦いを戦っている俺は、だから、どうしてもバザール派に立ってしまう。バーチャルな世界はグチャグチャしてた方が楽しいと思う。これは公私混同なんだろうか。